エッセイ

水曜随想  次は私の選挙です

 
 

 11日に投開票された沖縄県那覇市長選挙では4日の告示2週間前に、日本共産党の村山純県委員長代理が立候補を決意、民自公の悪政連合に立ち向かった。

 革新勢力は、早くから政策協定を締結、統一候補の打診に入ったが、人材を得られず、統一候補擁立断念を表明した。たたかいの歴史と伝統のある那覇市で、無投票になることは、沖縄の革新勢力の前途に大きな影響を与える。これを憂えた村山さんが立候補を決意した。

 糸数慶子参院議員は「村山さんに感謝する」とのべ、社大党や社民党も支持を決定してくれた。投票日の午後、身体障害者団体の県大会で組織の長老の方から「君たちの勇気に敬意を表する」と激励された。大会を手伝っているボランティアの人には、わざわざ呼び止められて「市長選挙の得票差は問題じゃない。日本共産党の勇気に感動している」と声をかけられた。結果は及ばなかったが、安保廃棄までたたかい続けるわれわれにとっては「途中経過」でしかない。

 解散・総選挙は、年内確実の情勢だ。維新の会や、生活第一など、「第三極」に政党助成金が渡る前に選挙をやりたいという野田首相の思惑もある。

 先週の衆院安保委員会で答弁に立つ森本防衛大臣の姿勢は破れかぶれだった。オスプレイが「市街地上空を避けて飛ぶ」ことなど、不可能なのに、普天間上空から「原っぱをみた」と言い放った。私への答弁だ。質問の最中目をそらし続けている。こうなったら論戦ではない。少なくとも事実を事実として受け止めて初めて、国会論戦は成り立つからだ。国民の怒りに直面した民主党の無残な崩壊過程をいろんな大臣たちがみせてくれる。自公はさらに危ない。「集団的自衛権」「改憲」「尖閣防衛の自衛隊配備」と、声高だ。

 総選挙の争点は明確だ。九州・沖縄悲願の2議席奪還のチャンスが近づいた。そして私は、沖縄1区からも議席に挑戦する。市長選の翌日、お隣近所に「次は私の選挙です」とあいさつ回りをして国会に向かった。(しんぶん赤旗 2012年11月14日)

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