エッセイ

水曜随想  必要なのは9条の精神

 
 
 オスプレイ配備反対の島ぐるみのたたかいが高揚しているさなかに沖縄から上京したら、東京は尖閣諸島問題のニュースばかりで、びっくりした。「沖縄が日米同盟に反発したから、その隙を中国につけこまれて尖閣が狙われた」と解説する「専門家」まで現れた。

 沖縄県民を無視して、尖閣問題が自分勝手にエスカレートしていることに、私の友人たちはみな違和感を覚えている。

 沖縄に「分島増約」とよばれる歴史的事件がある。明治初期、日本政府が、清国から最恵国待遇を得る代償として、宮古、八重山の土地と住民を清国に分割割譲しようと提案した事件のことだ。これが効力を持っていたら、尖閣諸島も宮古、八重山の土地も住民も中国の支配下に移されていたことになる。県民無視、国家エゴイズム外交の典型例だろう。

 「日本の領土を守るために行動する議員連盟」という超党派の組織が、「魚釣島に上陸して戦時遭難者の慰霊祭を行いたい」と行動を起こした。地元石垣在住の遺族会の代表は、「慰霊祭を利用して戦争につながる行動を起こすことに対し、無念のうちに死亡したみ霊は2度目の無念を感じている」と彼らの行動を厳しく批判した。同議員連盟は、遺族が参加しない「慰霊祭」を強行、一部の議員たちは尖閣に上陸した。尖閣の実効支配のアピールが目的だけの行動だ。

 「中国漁船1000隻尖閣をめざす」というニュースは、国民を震撼(しんかん)させた。ところが、尖閣に中国の船団は現れなかった。

 郡司農水大臣は「漁場としての見方をすれば、尖閣の周辺にそれほどの船団が来て、取れるような漁場というものはどうなのかなという感じ」と語り、中国にとって好漁場でないことを認めた。

 漁民は、これまでも「尖閣で中国漁船など見たことないよ」と語っていた。いったい誰がこんな情報を流したのだろうか。たくさんの疑問が湧いてくる。「日米同盟があるから尖閣は守られる」という考えほど危険なものはない。尖閣の海域に必要なのは、憲法9条の平和の精神だ。(しんぶん赤旗 2012年10月10日)

 

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