エッセイ

水曜随想  国民の苦難解決へ働く

 

 内閣不信任案が提出された6月1日の晩、約300人の衆院議員が住む衆議院赤坂宿舎は、新聞記者をはじめ取材陣であふれかえっていた。議員の帰りを待ち受けて、不宿任案に賛成か、反対か、いわゆる「票読み」をしていたのだ。

 「内閣不信任案提出」をめぐる不毛な権力闘争に対して、国民の政冶への怒りと不信は極点に達した感がある。ある全国紙の世論調査によれば、東日本大震災の復旧・復興のために「国会が機能していない」との回答が85%にのぼった。「支持政党なし」が、1997年に始めた現行の電話調査方式で最高の53%だそうだ。

 不信任案が否決された後も、菅首相の「一定のメドがついたら」発言をめぐって国会の空転は続いている。こんどは「大連立」をめぐって疑心暗鬼の腹の探り合いが始まっている。

 大義はみじんも感じられない。その後に起こるのは、「復興」の財源は消費税増税、「復興」構想の主役は「構造改革」、辺野古新基地建設を加速させる路線だ。自公と民主に本質的違いはないから、新しい政治は何も生まれない。

 日本共産党国会議員団は3月11日以来、被災地の党組織、地方議員団と連携して、住民の直面している要求をつかみ、政府に解決を迫ってきた。「ある制度は全部活用する。制度がなくても、被災地が必要なことは全部やらせて、新しい制度をつくらせる」という姿勢が、逡巡(しゅんじゅん)する政府や官僚を動かしてきた。国会で改善を約束させたら、議事録は政府の通達・通知よりも早く現地に届けられる。

 事故直後、自らも地震と津波の「被害者」のような顔をしていた東京電力の責任追及の突破口を切り開いたのも、日本共産党国会議員団だった。「原発の安全神話」を追及してきた国会論戦の積み重ねがあったからだ。国民の苦難軽減のために働くという立党の原点にたち、組織的に行動できる党こそ、必要な政党だ。こんな誇りを大切にして、未曽有の国民的苦難解決のために働きたい。(しんぶん赤旗 2011年6月8日)

 

 

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