エッセイ

水曜随想  決意新たにした長崎

 

 被爆65周年の8月9日、長崎市主催の平和式典に参列した。前日から長崎に入り、党代表団の一員として長崎原爆病院や恵の丘原爆ホームを訪ね被爆者を見舞った。爆心地公園では、山下満昭長崎県委員長、堀江ひとみ長崎県議、仁比聡平前参議院議員、国会議員団九州・沖縄ブロック事務所の田村貴昭所長らとともに、「原爆落下中心地碑」に献花した。 

 党の献花したすぐそばに、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長の花輪が献花されていた。今年の式典には、広島には国連事務総長、米英仏の核保有国の大使ら、長崎には英仏の臨時代理大使をはじめ32カ国の代表が出席した。被爆地を訪問した以上、「核なき世界」の実現を訴える被爆者の声を無視することはできない。 

 山下県委員長から「式典で被爆者代表として『平和の誓い』を行うのは内田保信さん。長崎県初の日本共産党県議です」と紹介された。息子の裕さんは、衆院福岡一区の候補者として昨年の総選挙をいっしょにたたかった仲だ。選挙中も「核兵器は人道に反する兵器。人類と共存できない」と訴えていた。 

 父親は「平和への誓い」のなかで息子についても触れた。「・・・原爆は私の皮膚を焼いただけではなく、20歳代になると白血球が異常に増える病気を引き起こしました。結婚して子どもができると子どもの健康のことがとても心配でした。私は、こんな原爆を、そして核兵器を絶対に許すことはできません」。そして「日本が核の傘から完全に離脱すべき」と訴えた。

 かつて、長崎県出身の久間防衛相が、「原爆の投下は、しょうがないと思っている」という趣旨の発言をし、被爆者をはじめ国民の怒りに直面して辞職させられた。その力の原点を平和式典にみた思いだった

 ところが菅首相は、その式典に参加していながら、「(米国の)核抑止力は必要」と広島に続き発言した。久間氏の発言と根は一つだ。米国追随のこの根はたちきらなければならない。被爆者の歩んだ歴史にふれて、決意を新たにした長崎への出張だった。(しんぶん赤旗 西日本のページ 2010年8月25日)

このページをシェアする