参議院選挙が終わった直後、米軍ヘリパッド基地建設に反対して抗議の座り込みをしている東村高江の住民を、防衛省が訴えた裁判への抗議集会で、あいさつに立った弁護士が突然、仁比聡平さんの国会質問を紹介し始めた。
仁比聡平議員=当時=は3月の参議院法務委員会で、政府の「住民恫喝(どうかつ)」の提訴を厳しく追及した。そのときの千葉景子法務大臣の答弁を聞いて、「これまでの民主党政権と千葉法務大臣への期待が怒りに変わった」というのが弁護士の発言の趣旨だった。
仁比さんの選挙中の演説の中で、私の心を強くとらえていたのは、「再び、あの国会の質問席にたたせてほしい」というフレーズだった。その気持ちは痛いほどよくわかった。以前に北海道の児玉健次元衆議院議員から「議席を失ったときの最大の苦しみは質問できないことだ」と、もだえる心情を聞かされたことがある。
仁比さんの質問は、有明海再生、水俣病、ハンセン病、被爆者問題、肝炎、沖縄と、常に、人間の尊厳の回復をもとめる質問の繰り返しだった。議席死守の責任をはたせなかった私自身の力不足を悔やむ。
日本共産党は後退したものの、私たちの日本改革の旗印の先駆性は失(う)せない。安保改定50年のことし、不平等な日米関係と安保条約の見直しをもとめる天王山のたたかいとなる11月の沖縄県知事選挙で、われわれは革新統一の候補者擁立をめざしている。革新知事が誕生すれば、政治の古い枠組みは大きく揺らぐ。前哨戦が22人の党候補を擁立する沖縄いっせい地方選挙だ。一つひとつのたたかいに確実に勝利し、前へ前へ進むことが仁比議席奪回をはじめとする党躍進への道づくりだ。(しんぶん赤旗 2010年7月28日)