国会質問

質問日:2023年 4月 27日  第211国会  憲法審査会

沖縄で続く人権蹂躙 赤嶺氏、地位協定改定を要求

衆院憲法審

 

 衆院憲法審査会は27日、自由討議を行いました。日本共産党の赤嶺政賢議員は、沖縄と憲法について発言しました。1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約によって、「沖縄は本土から切り離され、米軍の施政権下に置かれた」と述べ、「『屈辱の日』だ」と強調しました。

 赤嶺氏は、米軍は「銃剣とブルドーザー」により、「住民の土地を暴力的に奪い取り、基地を拡大した。県民の人権は全く無視された」と指摘。6歳の少女が米兵に拉致、強姦(ごうかん)された挙げ句、惨殺され、米軍のごみ捨て場に捨てられるなど、「沖縄県民の命は虫けら同然に扱われてきた」と批判しました。

 さらに、日米両政府が締結した沖縄返還協定は、日米安保条約に基づきアメリカが沖縄で軍事基地を保持するもので、県民の「平和憲法のもとに帰る」「基地のない平和の島」という願いは実現していないと指摘。復帰後も米軍が優先され、「県民の命は脅かされ続けている」と強調。さらに、日米両政府は、県民の民意を全く顧みず、辺野古新基地建設を強行していると述べ、「これが民主主義国家と言えるか」と批判しました。

 赤嶺氏は、「憲法の上に日米安保が、国会の上に日米地位協定がある」もとで、沖縄県民の人権は蹂躙(じゅうりん)されていると指摘。「沖縄の実態を放置したまま、改憲議論を進めるなど許されない」と批判し、地位協定こそ改定すべきだと主張しました。(しんぶん赤旗 2023年4月28日、一部修正)

 

質問の映像へのリンク

沖縄で続く人権蹂躙(衆院憲法審)

議事録

○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
 今日は、沖縄と憲法について意見を述べたいと思います。
 七十一年前の一九五二年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効しました。このサ条約の第三条によって、沖縄県は日本から切り離されました。沖縄は米軍の施政権下に置かれ、県民は耐え難い苦しみを押しつけられました。私たちはこの日を、怒りを込めて屈辱の日と呼んでいます。
 米軍は、銃剣とブルドーザーによって住民の土地を暴力的に奪い取り、基地を拡大しました。県民の人権は全く無視されました。
 私が小学校に入学した翌年に、六歳の少女、永山由美子ちゃんが米兵に拉致され、強姦された挙げ句、惨殺され、米軍のごみ捨場に捨てられました。
 そして、私が小学校六年生のときに、当時の石川市の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落をしました。パイロットは脱出しましたが、児童十一名を含む十八人が一瞬のうちに命を奪われました。
 高校一年生のとき、那覇市で米軍トラックが信号を無視して、集団下校中の中学生の中に突っ込み、少年をはねて即死させました。国場君事件と言われています。ところが、犯人の米兵は軍法会議で無罪になり、何のとがめも受けませんでした。
 高校の三年生のときには、読谷村で米軍ヘリがトレーラーを民家に落下させ、小学校五年生だった棚原隆子ちゃんが下敷きとなりました。
 大学生のときにも、糸満市で米兵が飲酒運転で金城トヨさんという女性をひき殺しましたが、無罪放免となりました。
 余りにも屈辱的でありました。アメリカの軍政下で、沖縄県民の命は虫けら同然に扱われたのです。
 沖縄県民の粘り強い運動により、一九七二年に沖縄は本土に復帰しました。そのとき県民が願ったのは何であったか。当時の琉球政府の屋良朝苗主席が策定した復帰特別措置に関する建議書は、次のように述べています。
 県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を要望したからにほかなりません。基地あるがゆえに起こる様々な被害公害や、取り返しのつかない多くの悲劇を経験している県民は、復帰に当たっては、やはり従来どおりの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります。
 県民が求めたのは、平和憲法の下に復帰することであり、基地のない平和の島として復帰することでした。
 ところが、日米両政府が締結した返還協定の中身は、日米安保条約に基づき、沖縄でアメリカの軍事基地を保持し、占領下で構築した基地をほとんどそのまま存続させるものでした。
 この返還協定は、沖縄県選出の瀬長亀次郎議員、安里積千代議員、この二人の質問が予定されていた前日の特別委員会で強行採決されました。屋良主席が建議書を政府に提出するため東京に降り立とうとする直前のことでした。屋良主席は、そのときの思いを、沖縄県民の気持ちというのは全く弊履のように踏みにじられたと日記で述べています。
 復帰後も、米軍が優先され、県民の命は脅かされ続けております。一九九五年には、小学校の女の子が三人の米軍に拉致され、レイプされました。二〇一六年にも、米軍属が女性を暴行し殺害しました。二〇〇四年には沖縄国際大学に米軍ヘリが、二〇一六年にはオスプレイが名護市の海岸に墜落しました。二〇一七年にも米軍ヘリが高江の民有地に墜落し、その同じ年、保育園や小学校に部品を落下させました。
 米軍には航空法が適用されず、無法な低空飛行を繰り返しています。
 コロナ禍の下でも、米軍基地に直接入ってくる米軍関係者を日本側は検疫することができず、沖縄でのパンデミックを引き起こしました。
 今、有機フッ素化合物、PFASが県内各地から高濃度で検出され問題となっていますが、日本側は、汚染源である米軍基地の立入りを、調査することができません。
 さらに、日米両政府は強権的に辺野古の新基地建設を推し進めております。県民は、県知事選挙や国政選挙、県民投票によって反対の意思を示し続けておりますが、政府は全く顧みていません。これが民主主義国家と言えるでしょうか。
 憲法の上に日米安保があり、国会の上に日米地位協定がある下で、県民の人権は今もじゅうりんされ続けております。ここに、憲法と現実の深刻な乖離があります。この沖縄の実態を放置したまま憲法改憲議論を進めるなど、許されるはずがありません。
 私たちは、政治家がやるべきは、憲法を変えることではなく、憲法の原則とかけ離れた沖縄の現実、すなわち地位協定などを変えることを強く申し上げておきたいと思います。

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