昨年12月、沖縄県うるま市石川地区のゴルフ場跡地に、陸上自衛隊のミサイル訓練場建設計画が突然持ち上がった。閑静な住宅地で、県内各地の子どもたちが利用する県立石川青少年の家に隣接している。1959年に米軍ジェット機が墜落し、児童11人を含む計18人の命を奪い、200人以上の重軽傷者を出した宮森小学校の校区でもある。
突然の報道を受けて、地元旭区の自冶会はただちに臨時総会を開催し、全会一致で反対決議をあげた。隣の東山区の自治会も続いた。党派を超えた反対の動きは急速に広がり、沖縄県議会も計画の白紙撤回を求める意見書を全会一致で可決した。世論の広がりに驚いた防衛大臣は、計画の見直しを表明した。
そんな中で3月20日、訓練場計画の断念を求めて市民集会が開かれた。会場の石川会館は、970人余りの定員。開始時間前から満席になり、ロビーまであふれ、1200人を超えた。地域の若者のブレイクダンスも披露された。彼らは旭区の公民館で練習をしている。旭区の子ども育成会の冨着志穂さんは「子どもや孫、地域の子どもたち、未来の旭区を守るために頑張る」と決意を述べた。高校生代表は政府の暴走を批判し、「国の在り方を決める権利は国民が持っている」と憲法の尊重を訴えた。
共同代表の伊波常洋さんは現役の自民党県議時代、米軍基地問題特別委員会の委員長を務め、隣町の金武町伊芸区への米軍都市型戦闘訓練施設反対運動を体験している。保革をこえて地域ぐるみで立ち上がったとき、米日政府の強大な権力を動かすことができるという確信をもっており、故翁長知事のように頑張ろうと呼びかけた。強い連帯感で結ばれて集会は終わった。
その後、市民集会の代表が上京し、防衛省で署名7037筆と決議文を手交した。計画の見直しを説明する防衛大臣政務官に、代表らは「私たちが求めているのは計画の断念」ときっぱり。この闘いは継続中だ。対米従属の政府の暴走をとめる闘いは長期戦だ。(しんぶん赤旗 2024年4月3日)