エッセイ

水曜随想 首相に重なる隊長の言葉

 

 米軍統治下の沖縄は、極東の要石(キーストーン)と呼ばれていた。県立公文書館の資料によると、1960年代前半には、広島型原子爆弾の約70倍の破壊力を有する「メースB」巡航ミサイルが32基配備されていた。最も多い時には1300発の核兵器が配備され、小さな島は共産圏をにらむアジア最大の「弾薬庫」だったとされている。

 安保3文書は、敵基地攻撃能力の保有と南西地域の軍事体制の抜本強化が柱だ。極東の要石との位置づけは米軍統治時代と変わらない。

 米軍は台湾有事をあおりたて、日本政府も中国が沖縄にも軍事侵攻をたくらんでいると喧伝(けんでん)している。県民は「沖縄を再び捨て石にするのか」と怒りがおさまらない。

 軍事対軍事のエスカレートに反対の声をあげて、憲法9条を生かした平和外交への転換を求める世論が高まっている。

 米軍統治時代は貧しかった。沖縄戦によって山野は砲弾で吹き飛ばされ、緑はかすかにしか残っていなかった。私の中学時代、学校の運動場の整地は米軍の部隊がやっていた。ブルドーザーによる整地作業が終わった後、米軍から野球のグローブやバットの一式がプレゼントされた。

 全校生徒がグラウンドに集められ、校長先生が米軍に感謝の言葉を述べた。その後、隊長らしき人物が演壇に立って、訓示をたれた。「沖縄の人々の偉大な犠牲的精神によって極東の平和と安全が守られている。沖縄は極東の要石。沖縄県民はその役割に誇りを持て」という内容だった。あいさつの内容が理解できた時じわじわと怒りが込み上げてきた。

 2月の衆院予算委員会で、岸田首相相手に南西諸島のミサイル基地化問題で論戦をかわした。岸田首相の答弁は、私が中学時代に聞いた米軍の隊長の言葉と変わらなかった。米国の軍事戦略に追随し、自国民を犠牲にすることも平気である。

 私は、対米追随国家の醜い政治の生き証人である。来たるべき総選挙、日本の真の独立への多数派形成のために全力で頑張る。(しんぶん赤旗 2023年7月19日)

 

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