エッセイ

水曜随想 「屈辱憲法」化は許さぬ

 

 今日は4月28日、沖縄の「屈辱の日」である。69年前のこの日、沖縄はサンフランシスコ講和条約第3条によって、米軍の施政下に置き去りにされた。

 2013年3月7日の衆院予算委員会で安倍首相は、「1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効し、7年にわたる長い占領期間を終えて、我が国は主権を完全に回復した」と答弁した。そして翌月28日に、政府主催で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催した。安倍首相が政権に復帰した直後の出来事だ。式典は沖縄県民の猛反撃にあい、その後は開催できなくなっている。

 もう決着済みだと思っていたこの問題を、憲法審査会の自由討議の場で、自民党の古参議員がまた持ち出してきた。言わんとするところは、主権回復以前に制定された日本国憲法は占領下で押しつけられたもので、今こそ主権国家にふさわしく憲法を変えようということだ。「屈辱の日」を「主権回復の日」と偽り、改憲の口実にすることは絶対に許されない。

 沖縄を分断していたサ条約3条は国民的大闘争によって死文化し、1972年には沖縄返還が実現した。しかし、同6条によって広大な基地は残り、日米の軍事一体化が進む。

 菅総理が訪米し、バイデン大統領との間で日米共同声明を発出した。声明は、自由と民主主義、人権、国際法などの普遍的価値が日米両国を結び付けていると強調している。

 度重なる選挙と県民投票で、沖縄県民が示し続けてきた新基地建設反対の意思を無視して、どうして民主主義なのか。国際法に違反して、住民の土地を奪って構築した普天間基地は、無条件で撤去すべきではないか。県民の人権をじゅうりんし、米軍の特権を保障する日米地位協定の抜本改正をなぜ提起すらしないのか。彼らの価値観は普遍的どころか、米国の世界戦略の価値観だ。

 対米従属の下で改憲を許したら、戦争放棄の憲法9条はこわされ、「屈辱憲法」にしかならない。歴史の逆流を許してはならない。(しんぶん赤旗 2021年4月28日)

 

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