エッセイ

水曜随想 我謝さんの思いずしり

 

 4月18日投票で、沖縄県与那原町の議員選挙が行われる。日本共産党の我謝(がじゃ)孟範さんは、11期目に挑戦する。その事務所開きが先週末行われ、私もかけつけた。我謝さんはあいさつのなかで、日本共産党との出会いを語った。

 彼は米軍の直接占領下の沖縄から19歳のときに上京し、東京の自動車整備工場に勤めた。会社の寮には「赤旗」日刊紙が誰でも読める場所に配達され、我謝さんは夢中でそれを読んだという。

 職場の場所が変わっても自分で「赤旗」を申し込み、20歳のときに入党する。ちょうど美濃部革新都政が誕生し、革新自治体が全国的広がりを見せた時期。選挙で公約した「老人医療費無料化」の実現を目の当たりにし、「政治は変えられる」ことを確信する。

 沖縄のたたかいにくわわることを決心し、沖縄に戻った。そのころの沖縄は、非合法化されていた日本共産党と沖縄人民党の組織的合流の準備がすすめられ、我謝さんは最初の「赤旗分局」を担うことになる。「住民の暮らしを守るために奉仕する」、これが自分の政治の原点だと彼は強調した。

 我謝さんは「平和の原点」にも触れた。彼の父親は兄を沖縄戦で失っている。我謝さんが子どものころ、父親は泡盛で晩酌しながらよく三味線を弾いていた。その途中で突然「やっちー、やっちー」(兄さん、兄さん)と叫んで泣いていた。我謝さんはそんな父の様子に違和感を抱いていたという。「やっちー」は友軍(日本兵)の兵士に射殺されたことをちに知り、我謝さんは衝撃をうける。

 父親は兄を奪い、沖縄を焼け野原にした戦争を僧んでいたという。我謝さんは平和を希求する沖縄の心を父の体験から学んだ。

 我謝さんのあいさつは日本共産党員の人生の重みをずしりと感じさせるものだった。我謝さんは「今年入党50年を迎える。改めて入党の原点、父親の戦争体験を語る気持ちになった」という。すがすがしい決意があふれた事務所開きだった。(しんぶん赤旗  2021年3月17日)

 

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