エッセイ

水曜随想 「平和の流れと響きあう」 衆議院議員 赤嶺政賢

 

 6月12日、米朝会談が行われた。米朝間の軍事衝突を避け、朝鮮半島の非核化と平和体制が構築されることを強く願う。北朝鮮の脅威がある以上、抑止力としての米軍基地は必要との日米両政府の口実は根拠を失う。翁長県知事を先頭とする辺野古新基地建設を許さないたたかいは、北東アジアの平和の流れと響きあっている。

 4月27日の板門店宣言は、分断された民族の心の底からの訴えだ。志位委員長は、「73年間に及ぶ南北分断と対立が解消に向かい、南北の人々が平和と繁栄のなかで暮らせるようになり、統一に向かうことを心より願う」との談話を発表した。

 かつて沖縄もサンフランシスコ講和条約第3条によって分断されていた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が38度線をこえて握手をかわしたあの映像をみたとき、2人の政治指導者の背後にいる朝鮮半島の人々の強い思いに想像をめぐらした。

 沖縄を日本から切り離したのは北緯27度線。サンフランシスコ講和条約第3条の発効した4月28日を「屈辱の日」とよんだ。毎年4月28日は、北緯27度線上で「沖縄を返せ」と海上大会が行われた。私も妻も1967年、大学2年生のときに海上大会に参加したことがある。民族の分断ゆえにいわれのない屈辱をさんざん経験した。歴史の歯車を動かしている両国人民のエネルギーに共感するところ大だ。

 1950年の朝鮮戦争は、数百万の人々が犠牲になった。だから、この間の北朝鮮の核開発と米国の核の脅迫の軍事的緊張が極限に達している中でも再び戦争の犠牲は絶対にださないという「全民族のいちずな思い」が板門店宣言にはあふれている。

 米国の軍事選択をも支持し、軍拡をあおりたててきた安倍首相は、いま、世界の流れからも取り残された恥ずかしい存在だ。

 国会から沖縄にもどると、できる限り辺野古ゲート前の座り込みに参加している。そこには、米朝会談の成功と安倍内閣退陣をもとめるエネルギーがあふれかえっている。(しんぶん赤旗 2018年6月13日)

 

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