エッセイ

水曜随想 「長崎の発信に目凝らす」

 

 核兵器禁止条約を採択した国連会議の成果にふれるたび、大国の覇権主義に支配されていた世界が大きく変わろうとしていることを実感する。

 核兵器を保有する大国は、この会議を失敗させようと、参加国にさまざまな圧力をかけた。米国を中心に、会議の成立をくいとめようと必死になったのに、無残にも失敗した。大国が用いる常套(じょうとう)手段は「核兵器は抑止力であり、安全保障の根幹だ」という思想だ。国連会議後のメディアの論評の中には、「核抑止力諭はうちやぶれない」といった皮相な悲観論もめだつ。

 その中にあって、核兵器禁止条約の採択当日まで、国連会議の取材を続けた毎日新聞の女性記者の論評記事が目にとまった。彼女は、ジョージ・リー・バトラー元米戦略軍最高司令官(78)が「抑止は幻想だ」と批判したことをとりあげていた。

 バトラー氏は退役後の1996年、欧米の退役将軍ら60人と共に核廃絶を訴え始めた。「きのこ雲の下の現実を知る被爆者が重要なのと同様、核兵器を落とす側の現実を知る軍人の言葉も重みがある。裏切り者扱いされるリスクを冒して核兵器の危険性と核抑止論の空虚を訴えているという事態を重く受け止めるべきだろう」(2日付「毎日」)と紹介している。

 日本政府は、米国の核で他国の攻撃を抑止する「核の傘」を安全保障の基軸としている。条約交渉もボイコットした。被爆者から抗議されたことは当然である。戦争被爆国の日本が、核抑止力論を振り回せば回すほど、世界から、軽蔑され、孤立することになるだろう。

 私は衆議院議員の任について以来、8月9日は、ほぼ毎年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加してきた。原爆病院や原爆ホーム「恵の丘」を訪ね、8月9日の被爆地長崎を歩き、長崎原爆資料館をたずね、被爆の惨状をわが事としてつかむよう努力してきた。去年は、高江のオスプレイ着陸帯に反対する徹夜の現地闘争、今年は衆院の沖北委員会の公務とかさなり、2年連続、8月9日の長崎に行けていない。

 核兵器禁止条約を被爆地長崎はどのようにうけとめるか、長崎から発信されるニュースに目を凝らしている。(しんぶん赤旗 2017年8月9日)

 

このページをシェアする