ある新聞の時事川柳欄に「米車乗り 右ハンドルの 暴走者」という句が載った。おもわずわが意を得たりと感心した。作者には、安保関連法制が念頭にあったのだろう。
日本の国が侵略されてもいないのに、なぜ米国といっしょに海外で戦争することが許されるのか、安倍首相は、まさに暴走者だ。別の句もある。「『平和』というメッキで飾った違憲の法」。たたかう人々の共通の気持ちがあふれている。
衆院憲法審査会で、今回の安保関連法案を「違憲だ」と言い切り、話題を広げている憲法学者の長谷部恭男先生は、安倍首相の言語を新語法(ニュースピーク)だと厳しく批判している。「(安倍政権によれば)戦争は平和だ」と長谷部先生が批判すると、対談相手の杉田敦法政大学教授が、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を紹介して、独裁者が国民に植え付け、復唱させるスローガンだと指摘している。国民から言語を奪い、国民の思考を単純化させる独裁者の手法を、長谷部先生らは、安倍首相の演説手法に見ている。(「朝日」5月朗日付)
ところで6月2日の閣議は、安倍首相と全閣僚は、沖縄のかりゆしウエアを着用して閣議に臨んだ。テレビや新聞でも「軽くて、涼しくて、気持ちいい」と閣僚らの感想がとびかった。
2007年の第1次安倍内閣から始まった恒例行事だ。「少しでも沖縄の役にたてばよい」と官房長官は沖縄県民に心を寄せていると胸をはり、沖縄県民と対立が続いている辺野古新基地問題も「政府の立場を丁寧に説明していきたい」と記者会見に臨んだ。
この閣議からしばらくたって、「かりゆしを 着ても良心 痛まぬか」という句をみつけた。安倍内閣のさかだちした言動を見破る思考と言葉がいまほど大事な時はないと思う。
言葉と格闘しながら、いま安保法制特別委員会の論戦に臨んでいる。そして、必ず安保法制関連法案を廃案にもちこみ、夏には辺野古新基地建設を断念においこみたい。(しんぶん赤旗 2015年6月17日)