エッセイ

水曜随想  米も警戒 安倍流歴史観

 

 2015年は戦後70年を迎える。安倍首相は、この年に目標をおいて、安倍流の歴史観を表明しようと暴走を続けている。

 

 その一つが、戦後50年の終戦記念日にだされたいわゆる「村山談話」の変更。もう一つが日本軍「慰安婦」問題に関する1993年の「河野談話」をなきものにしようという画策だ。

 

 通常国会では、日本維新の会が、「河野談話」作成の調査過程がずさんだったとして、政府の中に「検証チーム」の設置を約束させた。安倍内閣は「わが意を得た」とばかりに前のめりである。生き証人の証言に疑いをもてといいたてる維新の会の議員の質問は、日本の戦争責任を力ずくで否定するもので、聞いていてほんとうにおぞましいものだった。

 

 昨年末の靖国参拝は、「植民地支配と侵略」への謝罪を示した「村山談話」を安倍氏自らの行動で否定したものだ。韓国、中国からはもちろんのこと、同盟国のアメリカからは「失望した」といわれ、欧州からも厳しい批判をあびている。

 

 安倍首相は、歴史間題についての米国からの批判をそらすために、辺野古新基地問題やTPP交渉、集団的自衛権容認などでアメリカの歓心を買おうとしているようにもみえる。国民の利益と安倍首相の歴史観を取引するつもりかと疑ってしまう。4月のオバマ大統領来日時の日米両首脳の発言は要注意だ。

 

 米国のなかには、安倍首相の集団的自衛権容認の憲法解釈についても警戒心がでているという。「尖閣列島」をめぐる日中間の衝突に、アメリカがまきこまれることを危倶しているというのだ。この懸念を紹介してくれた元防衛省のトップ官僚は、「以前は米国の戦争に日本が巻き込まれるという議論だったが、いまは逆の話が真剣に論じられている」と憂えた。

 

 暴走の一歩一歩に反撃できる立場を堅持しているのは日本共産党だけ。党国会議員に対する国民の期待のまなざしは熱い。責任の重大さをかみしめながら、緊張にみちた国会活動に全力をあげている。(しんぶん赤旗 2014年3月12日)

 

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