エッセイ

水曜随想  基地は移設でなく撤去を

 

  いよいよ臨時国会が開会した。新たな内閣を発足させてから40日もすぎた。その間、鳩山内閣の閣僚は、総選挙勝利の勢いに乗って、マニフェスト実現にむけて、各自、自由闊達(かったつ)に発言した。よいことは、実現にむかって協力し、約束の実行をためらう動きには新たな提案をおこない、道筋をしめしていく。建設的野党日本共産党の真価がいよいよ試される。

 鳩山首相の所信表明演説で、いちばん評判が悪かったのが「普天間基地移設問題」だ。

 所信表明演説には、連立政権合意にもなった「米軍再編のみなおし」という文言もはいらなかった。ゲーツ国防長官の来日以来、政府内の動揺は激しい。脾睨(へいげい)という単語はこういう場面にふさわしいのだろう。アメリカににらみつけられて、立ちすくみ、「普天間基地の移設は沖縄県内に」といいだした。政府内のおおかたは、辺野古新基地建設は変更することはできないという空気だ。

 県民は、11月8日、県民大会を開催し、政府への反撃の準備をすすめている。

 普天間基地は、民主党の公約にある「県外移設・国外移設」では解決の展望はうまれてこない。移設先の検討とは、米国の海外への軍事的介入拠点である軍事基地を容認することになる。民間市街地上空を訓練でヘリがとびまわる普天間基地の部隊はイラクやアフガンにも展開している。

 戦争と暴力の出撃基地であり、人権侵害と犯罪の温床である米軍基地は、諸悪の根源として県民は撤去をもとめてきたのだ。日米軍事同盟のありかたそのものを根本的にみなおすたたかいとむすびついてこそ展望も生まれる。

 鳩山首相は、「沖縄県民の総意がどこにあるか」とよく、くりかえす。辺野古新基地建設問題で言えば、1997年12月の名準市の住民投票であきらかだ。当時の政府は、国家権力を総動員して、住民投票に介入したが、名護市民には歯がたたなかった。住民投票の結果をふみにじって基地建設を強行しようとしたが13年間着エできなかったことをしるべきだ。

 鳩山首相は、基地の島からぬけだすために、血のにじむようなたたかいをつづけてきた県民の歴史に思いをかさね、普天間基地の即席閉鎖・撤去をもとめる勇気ある対米交渉に本腰いれてのぞむべきだ。(しんぶん赤旗 九州沖縄のページ 2009年10月28日)

 

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