エッセイ

水曜随想  戦争体験を学んだ夏

 

 漫画「はだしのゲン」を閲覧制限した松江市教育委員会を、「子どもが読むのに露骨な描写があっていいわけがない」と下村博文・文科相が全面擁護した。あってはならない発言だ。広島の被爆者は「被爆も戦争も経験していないから、そんなことが言えるのだろう。平和な未来のためには惨状の継承が必要だ」「『はだしのゲン』は本当にあったことを表現している」と反論した。

 


えびの市の演説会で訴える赤嶺政賢衆院議員=7日

 

 その後、松江市教育委員会が「はだしのゲン」を自由に閲覧できるようにしたことは当然だが、いまなお、「ゲン」をはじめ戦争の証言には執拗(しっよう)な攻撃が続く。

 安倍首相のタカ派政治に一部メディアも迎合する中、今年の長崎平和式典の平和宣言は、逆流に抗する姿勢が貫かれていた。

 長崎市の田上富久市長は、核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本政府が署名しなかったことをあげ、式典に参列していた安倍首相を前に「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます」と繰り返し訴えた。長崎の平和宣言は起草の段階から被爆者も参加していると聞いた。だから、「核兵器は悪魔の兵器」と態度はぶれず「核抑止力」は絶対に容認しない。

 8月22日、「対馬丸の慰霊祭」に参加した。

 1944年8月22日は、沖縄からの学童疎開船「対席丸」が米海軍潜水艦の魚雷攻撃を受け、学童775人を含む1418人が犠牲になった日。当時、生き残った人々には厳しいかん口令が敷かれていた。遺族会の代表は「軍の食糧確保のための戦争の人減らしとしての疎開だった」と、多数の学童を犠牲にした歴史の背景に触れた。

 黒木和雄監督が故郷宮崎県えびの市を舞台に、監督自身の戦争体験を描いた映画「美しい夏キリシマ」に沖縄から疎開した子どもが登場する1シーンがある。えびの市は、私が生まれ育った小禄の第一、第二国民学校の児童120名の疎開地だった。「戦争は絶対に美化してはならない」。えびのに学童疎開した体験をもつ近所の先輩は、盆踊りの会場で私に熱く語った。8月はそんな体験をたくさん学んだ。(しんぶん赤旗 2013年9月11日)

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