エッセイ

水曜随想  今日も続く「屈辱の日」

 
 「4月28日を主権回復の日として祝う式典」を政府主催で開催しようという閣議決定が3月12日に行われた。

 安倍首相は7日の衆院予算委員会で「1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効いたしまして7年にわたる長い占領期間を終えて、我が国は主権を完全に回復した」とのべた。

 さらに、憲法や教育基本法は占領期間中に制定されたものだということを持ち出し、新しい日本は、4月28日を主権回復の式典として、政府が主催するところから始まるとしている。

 この式典にかける狙いは、憲法を標的に「占領下で制定された」と傷つけ、改憲の機運を広げようとするためだ。憲法改悪の踏み台として、「主権回復の日」の記念式典を位置づけている。

 サンフランシスコ講和条約によって主権が回復されたとよくもまあ言えたものだと、沖縄県民は、はらわたが煮えくり返るような思いを抱き、悶々(もんもん)としている。

 サンフランシスコ講和条約第3条は、沖縄と奄美群島、小笠原諸島などをアメリカに売り渡し、第6条で、安保条約の締結を押し付け、今日も続く米軍基地国家日本の矛盾の源流だ。

 日本の「屈辱の日」ではあっても、「主権回復の日」などではない。ましてや、沖縄県民は、サンフランシスコ講和条約によって、日本から分断され、人権は虫けら以下に扱われ、広大な米軍基地群を銃剣とブルドーザーによって押し付けられた。県民は、4月28日を「屈辱の日」と名付け、戦後27年間の軍事占領支配に抗して立ち上がり、1972年に祖国復帰を実現した。

 第3条を死文化させたと喜んだものだ。しかし、米軍基地は第6条によって押し付けられた安保条約のもとで、いまだに解決されていない。

 4月28日は、「主権回復の日」ではなく、今日も続く「屈辱の日」でしかない。歴史認識をひっくり返す安倍首相の姿勢は、県民を侮辱するものであり、絶対に受け入れられない。(しんぶん赤旗 2013年3月13日)

 

このページをシェアする