沖縄県知事選挙の投票日(11月28日)直前の、うるま市石川での演説会は熱く燃えていた。
宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故が起きた町。当時の先生や生徒が参加していた。若者代表が「モンゴル800」の歌詞を引用して、「矛盾の上に咲く花は根っこの奥から抜きましょう。そして新しい種まこう」と訴えた。今度の選挙は、県下各地で「種まく人々になろう」と使命感に燃えている人々が多かった。
知事選挙は、あと一歩に迫ったが、残念な結果に終わった。
伊波洋一さんは、結果がでた直後に、集まっていた私たちに、こうあいさつした。
「沖縄はずっとチャレンジしながら取り組んできた。そして私たちはこの道をずっと歩んでいかなければならないと思います。・・・私たちは、米国の召し使いではないんです。しかし、私たちはこの65年、ずっと(そのように)扱われてきた…。沖縄県民自身が沖縄の問題を主体的に解決していくことを自分たちの誇りとして持つことが大切だ‥。私たちはこの問題の解決に向けてずっとチャレンジしていくでしょうし、いつかは私たちが勝つだろうと思っています」
会場全体の重たい空気を吹き飛ばす内容だった。
同じころ、名護市の稲嶺市長もメディアに囲まれていた。市長は「負けはしたが、仲井真知事から『県外移設』や『日米合意の見直し』という言葉を引き出せた。条件付き容認という知事の立場を変えさせるまで追い込んだというのが選挙戦の成果だ」とのべた。
これからすると、知事選の真の敗北者は民主党政権だ。自らは候補者を立てきれず、自公勢力に熱い期待を寄せていた。彼らは、選挙前から、大臣、副大臣、政務官が公務を装って沖縄に出入りした。首相官邸には副知事もよびだされた。目立たないように仲井真候補を支援していた。
しかし、選挙が終わっても彼らは頭を抱えている。たたかいを確実に前進させているのはわれわれだ。(しんぶん赤旗 2010年12月8日)