衆院安保委
日本共産党の赤嶺政賢議員は17日の衆院安全保障委員会で、中谷元・防衛相が10日の参院外交防衛委員会で米軍普天間基地に代わる沖縄県名護市辺野古の新基地建設に関し「もっと沖縄県が努力すれば普天間の移設は進んだ」と答弁したことについて、「事実を歪曲(わいきょく)するものだ」と厳しく批判し、撤回を求めました。
赤嶺氏は、沖縄県と名護市が1999年に「県内移設」を押し付けられたもとで代替施設建設を受け入れたが、それは北部地域の振興のため軍民共用空港とし、米軍の使用は15年に限るとの前提条件での合意だったと指摘。ところが、日米両政府は2005年10月、軍民共用や使用期限を捨て去り米軍専用施設とし、建設場所を集落に近い米軍キャンプ・シュワブ沿岸域に変更して99年の合意を一方的にほごにしたと告発しました。赤嶺氏は、当時の稲嶺恵一知事が「絶対に容認できるものではない」と表明していたことを示し、「稲嶺県政の苦渋の決断をないがしろにし、協力関係を壊したのは日本政府だ。県に責任を転嫁することは絶対に許されない」と強調しました。
さらに、赤嶺氏は、05年の日米合意で軟弱地盤が広がる大浦湾側に建設場所を変更したため、軟弱地盤の改良工事による大幅な工期の延長が必要になったと指摘。「一貫して計画に反対してきた県民の民意を受けて県が新基地反対の立場に立つのは当然だ。防衛相の発言は民主主義の否定だ」と述べ、撤回を迫りました。中谷防衛相は「訴訟などがあり工事が遅れた」などと開き直りました。(しんぶん赤旗 2025年4月18日)
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議事録
○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
今日はほかの委員会と重なっておりまして、委員長、理事の御了解を得まして、一番最初ということになりました。どうぞよろしくお願いします。
それで、まず辺野古の問題から質問をします。
防衛大臣は、四月十日の参議院外交防衛委員会で、普天間飛行場の危険性除去は二十年ほど前に国と沖縄県、名護市の三者で決めたもので、同じ時期の那覇空港の拡張工事は順調に進んだのだから、もっと沖縄県が努力すれば普天間の移転も早く進んだのではないかという趣旨の答弁を行いました。これは事実を歪曲するとんでもない発言であります。
防衛大臣に改めて伺いますが、新基地の建設場所が現在のキャンプ・シュワブの沿岸域になったのは二〇〇五年十月のことです。この場所に決めたのは誰ですか。
○中谷国務大臣 まず、普天間飛行場につきましては、一九九六年のSACO最終合意で沖縄県内に代替施設を建設するという前提で、一九九九年に、当時の辺野古沿岸案に対して沖縄県知事及び名護市長の同意を得てこれは閣議決定しております。その後、また協議がありまして、二〇〇五年、ちょうど二十年前ですけれども、十月、2プラス2において、キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに近接する大浦湾の水域を結ぶL字案に設置することについて日米で合意をいたしました。当時は大野功統防衛庁長官であったと認識をいたしておりますけれども、そこで出てきたのがV字案でありまして、当時、島袋市長がこの基本合意を締結し、そして、稲嶺知事におきましても、二〇〇六年五月、V字案に係る基本確認書を締結されましたが、その後、八月に協議会を設置しまして三者で協議をいたしまして、そしてその後、仲井真知事が当選をされまして、政府、県知事、そして名護市長の下に、スタンスをそろえて協議を進めていた次第でございます。
○赤嶺委員 キャンプ・シュワブ沿岸部、ここに決めたのは2プラス2で日米両政府ということですよね。沖縄県が決めたわけではないわけです。
その日米合意に対して、当時の沖縄県はどのような見解を表明しましたか。
○中谷国務大臣 二〇〇五年の2プラス2で合意したL字案につきましては、例えば、当時の稲嶺沖縄県知事からは、沖縄県としては絶対に容認できるものではない旨のコメントが出されたほか、沖縄県議会からは、沖縄の受入れ可能な案を米軍再編協議の最終報告に反映するよう要請があったと承知をしております。
しかし、その後、現行の案、いわゆるV字案、額賀大臣の頃でありましたが、当時平成十八年、二〇〇六年五月に当時の額賀防衛庁長官と稲嶺知事との間で在沖米軍再編に係る基本確認書を結んだ上で、二〇〇六年、平成十八年八月以降、普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会において、政府、県、関係自治体との間で代替施設の建設計画、環境影響評価手続、普天間飛行場の危険性の除去について協議を重ねたわけでございます。
○赤嶺委員 大臣、はしょって、いろいろ問題のあるところを飛ばして答弁する必要はないですよ、一問一問聞いていきますので。しかも、私、今日は十五分しかないので、端的にお願いします。
当時の稲嶺知事は、代替施設を受け入れる上で、県民が納得できる条件として、軍民共用それから使用期限十五年を設けて、苦渋の選択をしたわけですね。一九九九年ですよ。国、県、名護市による基本計画の策定や作業の経緯を踏まえれば、絶対にL字型案、2プラス2は容認できるものではないという、怒りに満ちたコメントを出しております。
九九年当時、国、県、名護市の三者で合意したことは、先ほどの大臣の答弁にもあるように、あります。しかし、それは県内移設という限られた選択肢を押しつけられた下で、北部地域の振興のために軍民共用空港とし、米軍の使用は十五年に限るという前提条件の下に合意したものでありました。
私たちは、十五年の使用期限などできるはずがないと批判をしましたが、それでも当時の保守県政としては、県民との関係で、それが受け入れられるためのぎりぎりのラインだったのであります。
ところが、その九九年合意、それを一方的に破棄して、ほごにしたのは日本政府です。軍民共用も十五年の使用期限も捨て去り、文字どおり米軍専用施設にしてしまいました。しかも、移設場所、建設場所は、沖合から集落に近い沿岸域に変更をいたしました。地元としてのめるはずがない案を沖縄県や名護市の頭越しに、日米両政府だけで決めてしまったんです。
稲嶺県政の苦渋の選択をないがしろにして、協力関係を壊したのは日本政府の側だったのではありませんか。
○中谷国務大臣 その後、丁寧に政府と沖縄県並びに地元の名護市と協議が続けられておりました。そこで、二〇〇六年、名護市の市長選挙において、新たな案への反対を掲げた島袋氏が当選しましたけれども、その後、国との協議の結果、島袋市長と東村長がV字案の基本合意書を締結いたしまして、その後、稲嶺知事が額賀長官とV字案に係る基本確認書を締結されました。
その後、協議会が設置をされまして、何度も開催をされたわけでございますが、結局、二〇〇六年の十一月に沖合移転を公約に掲げた仲井真知事が当選をされまして、その後、実質的に協議が続けられたということでございます。
○赤嶺委員 大臣、私は、九九年の合意、これは沖縄県、名護市、国、合意していた三者合意、しかし、それをほごにしたんですよ、あなた方は。十五年使用期限もほごにした、軍民共用空港もほごにした。その責任は国にあるんじゃないですか。自らの責任を頬かむりにして、県に責任を転嫁するなどというのは絶対に許されるものではありません。閣議決定までしたものを閣議決定でほごにする、こんなやり方がありますか。
更に伺いますが、二〇〇二年に合意された軍民共用空港の建設場所は、沖合二・二キロの辺野古側の海域でした。防衛大臣、そこは軟弱地盤はありましたか。
○中谷国務大臣 九七年、この当時は沖縄の防衛施設局が代替施設の検討に当たって土質調査を行った結果、辺野古の沖合の地点で沖積層の存在が確認された。その地点の一部は平成十四年、二〇〇二年七月の沖縄の辺野古沖合に代替施設を建設する案、いわゆる海上案の建設場所に含まれていると承知をいたしております。
一方で、海上案につきましては、当時、具体的な設計を行う段階にはなくて、建設場所における地盤改良の必要性については詳細な検討は行っておらず、那覇の防衛施設局としては、地盤改良の必要性を把握していたものではなかった。つまり、海上案が浮上しておりましたので、その必要性はなかったというふうに承知しております。
○赤嶺委員 辺野古側というのは水深の浅い海域で、軟弱地盤も確認できていませんでした。ところが、それを大浦湾にかかる形で変更したのが二〇〇五年の日米合意であります。
今、軟弱地盤の改良工事のために大幅な工期の延長が必要になっています。普天間基地の返還が更に遅れる原因をつくったのは、軟弱地盤が広がる大浦湾側に建設場所を変更した日本政府の責任ではありませんか。
○中谷国務大臣 これは、やはり二〇〇五年、二〇〇六年当時、国と沖縄県並びに名護市長等と話合いをしまして、このときに海上案、辺野古沖埋立てが要望されたわけでございますが、その後、V字案などが提案をされまして、先ほどお話をしたとおり、地元の皆様方との合意をするべく協議会を設置いたしまして話合いをした結果、仲井真知事等も当選されましたので、それで環境影響評価に対する方法書を出しまして、工事が進展していったということでございます。
○赤嶺委員 答弁してまずいところは一切答弁しないで省いて言っているんですが、稲嶺知事はV字型案に賛成していなかったですよね。それを何かあたかも賛成したかのような言い方の答弁がありましたが。
防衛省は、この海域の地盤の状況について知らなかったわけではありません。軍民共用空港の建設場所を決める過程で、音波探査もやって、地盤についての一定の認識も持っていました。にもかかわらず、大浦湾側に変更したのです。軟弱地盤の改良工事で大幅に遅れることになりました。遅れたのは防衛省の責任が極めて重大だということじゃありませんか。
沖縄県民は一貫して、この計画に反対してきました。沖縄県が、その県民の民意を受けて新基地反対の立場に立つのは当然です。にもかかわらず、沖縄県の努力が足りないなどと発言するのは、大臣自身が民主主義を否定することになります。
参議院での、沖縄県が協力すればもっと早くできたというあの発言は撤回すべきではありませんか。
○中谷国務大臣 この事業の進捗につきましては、丁寧に時間をかけながら沖縄県と協議いたしております。
そして、二〇〇六年の五月十一日に稲嶺知事が額賀長官とV字案に係る基本確認書を締結しておりまして、このV字案に合意をする上において、これを基本に協議するということで、その後、協議会が設置をされまして話合いをした結果、事業の承認を、沖縄県としても、V字案を基本に協議してきたということでございます。
そこで、御質問の、埋立承認書における時間がかかったのではないかということでございますが、実は、平成二十五年、二〇一三年の埋立承認願書において、沖縄防衛局において、設計段階で必要な調査を行った上で作成をされたものでありまして、沖縄防衛局がこの埋立承認願書の審査段階において、施工段階でボーリング調査等の必要な土質調査を実施することを沖縄県に説明をした上で、沖縄県知事から埋立承認を得たものであると承知をしております。
その後、施工段階で必要な調査検討を行った結果、土質改良工事が必要であると判明しまして、工事の追加を行うということで行ってきたわけでありまして、いずれにしましても、防衛省は、様々な機会を通じて地元の皆さんに丁寧な説明を行い、そして沖縄県とも様々なレベルで対話を図りながら、飛行場の一日も早い全面返還を実現するために努力をしてきたわけでございます。
その後、訴訟とかいろいろな出来事がありましたけれども、それによってやはり工事が遅れてきたということは事実でございますので、その点につきましては、国と県と市がもっと協力をしていればもっと早期に事業が進むんじゃないかなというふうに思います。
○遠藤委員長 赤嶺君、時間が来ております。
○赤嶺委員 今日は時間がありませんので。ただ、肝腎の九九年合意を閣議決定しながらほごにした。そして、軟弱地盤を自ら選んで工事を混乱させた、その責任はあなた方にあるというような、沖縄県はやるべきこと、訴えることをやっているんだということで、あしたもまた質問がありますので、法案とともに引き続き追及していきたいと思います。
ありがとうございました。