国会質問

質問日:2017年 5月 18日  第193国会  憲法審査会

衆院憲法審 首相改憲発言を批判 赤嶺・大平衆院議員 「国会の権限に介入」

 

 安倍晋三首相が「2020年の施行」と期限を区切って9条改憲を明言(3日)して以降、初の衆院憲法審査会が18日、開かれました。

 冒頭、森英介会長が「憲法改正発議権を有しているのはあくまでも国会だ。与野党で丁寧な議論を積み重ねる」との所感を表明。自民党の中谷元・幹事は、首相発言に「縛られるものではない」と述べました。

 日本共産党の赤嶺政賢議員は、安倍首相が期限まで区切って9条改憲議論の方向を国会に示したのは「憲法尊重擁護義務を負う政府の長が国会の権限に介入したものであり、三権分立に反する」と厳しく批判。安倍首相による改憲原案づくりの指示を受けて自民党が改憲議論の「加速化」を図ろうとしていることは「言語道断だ」と迫りました。

 さらに赤嶺氏は、首相の発言は結局、9条2項を削除して国防軍を置く「自民党改憲草案が『国民的な議論』に値しないと認めたものだ」と指摘。「アジアと国際社会に『二度と戦争しない』と約束した9条に手を加えることは日本国憲法を根底から覆す」と批判し、「国民の多数は改憲を求めていない。改憲案の発議に向かう審査会を動かすべきでない」と主張しました。

 共産党の大平喜信議員は、首相が教育の無償化をだしに改憲を狙っていることを批判。教育無償化に必要なのは「憲法を変えることではなく、教育予算を抜本的に増やし学費の引き下げを行う政策判断だ」と強調しました。

 民進党の中川正春議員は、首相の改憲発言は「立法府の権限を著しく侵害し、議事の混乱を起こす行為だ」と述べ、審査会として安倍首相に抗議し、発言の撤回を求めるよう主張。社民党の照屋寛徳議員も「総理は行政府の長であり、具体的な改憲項目や改憲年限を国会や国民に示す権限はない」と批判しました。

 これに対し、自民党の古屋圭司議員は、自民党総裁としての発言であり「何の問題もない」と発言。同党の船田元・議員は「行政の長、内閣にある者は抑制的であるべきだ」と述べる一方、「憲法改正について具体論を議論しよう、そういう時期がきた」と述べました。(しんぶん赤旗 2017年5月19日)

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安倍首相の改憲発言を批判(衆院憲法審査会)

議事録

○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
 安倍首相は五月三日、改憲派の集会へのビデオメッセージで、二〇二〇年を新しい憲法が施行される年にしたい、憲法九条に自衛隊を明文で書き込むなどと表明しました。まず指摘しておきたいのは、こうした安倍首相の発言自体の問題です。
 憲法九十六条は、改正の発議権は国権の最高機関である国会にあると明記しています。だから、安倍首相もこれまで、改憲の具体的な案については憲法審査会において議論すべきであるというのは私の不動の姿勢と発言してきました。
 しかし、今回、安倍首相は、勝手に期限を区切って改正の具体的な中身に言及し、憲法改正議論の方向を指示しました。憲法尊重擁護義務を負う政府の長が国会の権限に介入したものであり、三権分立に反するものであります。到底容認できません。
 しかも、首相は、九日の参議院予算委員会で、憲法審査会について、相当議論が煮詰まってきた、最終的にいよいよ案を出すところに来ているとまで発言しました。
 こうした首相の改憲発言が十一日の憲法審査会の幹事会で大問題となりました。自民党は党内に向けた発言だと言い張りましたが、一連の発言が首相として全国民に向けたものであることは明らかであり、結局、会長所感と自民党冒頭発言として、与野党で丁寧な議論を行い、首相発言に縛られるものではないと表明することになったのであります。
 ところが、翌日、首相はさらに改憲原案づくりを指示し、起草委員会を党内に設置、自民、公明、維新の三党だけで発議することまで報じられています。十六日には、内閣が憲法改正の原案を提出できるという答弁書を閣議決定しました。言語道断であります。
 こうしたもとで、自民党憲法改正推進本部長の保岡議員は、党総裁から方向性が示された、できるだけ早く具体案を考えると述べ、総理は慎重であるべきだと先週の幹事懇で発言した船田議員も、これまでを反省し、加速化に転じました。
 今や、自民党が憲法改正の加速化へと大きくかじを切り、審査会での議論はまさに憲法改正案の発議に向けたものになろうとしています。
 昨年十一月十七日、一年半ぶりの審査会の再開に当たり、森会長は、「憲法改正の必要性の有無とその内容について熟議を重ねる」と述べ、自民党を代表して発言した中谷議員は、改正ありきの改正項目の絞り込みではないと述べてきましたが、今、全く違う方向に行っているのではありませんか。
 我が党は、何度もこの場で主張してきたように、国民の多数は改憲を求めておらず、改憲案の発議に向かう審査会を動かすべきではないということを改めて指摘したいと思います。
 次に、総理の改憲案の中身の問題です。
 第一に、安倍首相は、今回、九条一項、二項を残しつつ自衛隊を明文に書き込む、これは国民的な議論に値するのだろうと提起しました。しかし、首相は、昨年二月の予算委員会で、稲田議員の質問に答えて、九条二項を改正し国防軍を明記する自民党の憲法改正草案を、自民党総裁として同じ考え方だと述べています。今回の発言は、結局、自民党草案が国民的な議論に値しないと認めたものであり、自民党結党以来掲げてきた九条改正は国民の理解を得られなかったということになるのであります。憲法九条の改正自体、諦めるべきであります。
 第二に、政府解釈の問題です。
 歴代政府は、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは九条で禁止されていないとして、自衛隊を合憲と解釈してきました。自衛隊を書き込む必要があるというのは、結局、これまでの政府見解は誤りであったということではありませんか。
 二年前の安保法制は、従来の政府解釈でも憲法を変えない限り認められないとしてきた集団的自衛権の行使を容認しました。憲法学者の九割が違憲だと言い、多くの国民が反対したように、安保法制も違憲の法律だということになります。
 第三に、九条に自衛隊を書き込むということは、単なる自衛隊の現状追認にとどまりません。こうした主張をする改憲論者は、自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべきであると公言しています。九条はそのままでというのは全くの欺瞞です。
 そもそも九条は、日本国憲法の核心であります。日本国憲法は、侵略戦争の反省のもと、軍国主義を全面的に排除し、国民主権と民主主義を掲げる平和国家として国際社会に復帰するための出発点であり、アジアと国際社会に対し、二度と戦争をしないということを約束したのが九条です。九条に手を加えることは日本国憲法を根底から覆すことにほかなりません。
 この七十年、戦力不保持を定めた憲法九条に反して、米国の再軍備要求で自衛隊が創設され、歴代自民党政権は、米国の求めに応じて解釈拡大を重ね、海外派兵へと道を開き、憲法と矛盾する自衛隊の現状をつくり上げてきました。それでも憲法九条は自衛隊の活動を制約し、政府を縛っているのであります。
 今、国民が求めているのは、憲法改正ではなく、立憲主義の回復であります。憲法の原点に立ち返り、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重といった諸原則に合わせて現実政治を変えていくことこそ求められており、それと逆行する改憲議論など断じて認められません。
 最後に、沖縄について述べます。
 沖縄は、今月十五日で、平和憲法のもとに帰ると復帰して四十五年たちました。しかし、今なお沖縄では憲法の上に安保が置かれています。政府は、米軍基地のために、法律の恣意的な運用を重ねて、地方のあらゆる権限をじゅうりんし、地方自治も民主主義も踏みにじっています。こうした沖縄の現状に対して、先日、参考人四人全員が、国策によって民意が一顧だにされない現状への批判を示したことは極めて重要であり、歴代自民党、安倍政権の責任が問われています。
 九条とともに、日本国憲法で初めて位置づけられた地方自治は、憲法の基本原則を地方政治においても貫くことを求めていることを指摘しておきたいと思います。

○大平委員 日本共産党の大平喜信です。
 五月三日の改憲発言以来、安倍首相が改憲議論の加速化のために憲法審査会のあり方まで指示をしているのは、まさに三権分立を脅かすものです。
 首相の改憲発言は、日本国憲法の非軍事、平和主義という根幹に風穴をあけようというものであって、断じて認められません。
 私は、もう一つの安倍首相発言である教育の無償化についても意見を述べたいと思います。
 安倍首相は、三日の読売新聞のインタビューで、「七十年前、憲法が普通教育の無償化を定め、小中学校も九年間の義務教育制度が始まった。」「高等教育も全ての国民に真に開かれたものとしなければならない。」と述べ、高等教育の無償化のための憲法改正に言及しました。
 しかし、教育の無償化は、憲法に書き込めば実現する、あるいは、憲法に書き込まなければ実現しないというような問題ではありません。
 そもそも日本国憲法は、第二十六条一項で、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と明記しています。この権利の実現のための教育条件の整備こそ、政治に求められていることです。
 しかし、現実は、家計の経済的状況によって、つまり、お金がなければ教育を受けられない状況がつくり出されています。
 小学校や中学校の義務教育は無償とすると憲法二十六条二項は明記しています。
 しかし、実態としては、無償とはなっていません。
 小学校や中学校では、制服や学用品の購入費、修学旅行費、そして給食費やあるいは給食未実施によるお弁当の持参など、いまだに、修学のために多くの負担を家計に強いています。そのため、クラスで一人だけ修学旅行に行けない、お弁当を持ってこられないためにお昼の時間に教室にいられない、部活にも参加できないなど、子供たちの孤立化を招き、発達に悪影響を及ぼしているのであります。
 まさに、全ての国民のひとしく教育を受ける権利が侵害されている。憲法と乖離したこういう状況こそ、一刻も早く改善するべきです。
 その点で何よりも指摘しなければならないのは、この間の安倍自民党政権の教育に対する姿勢であります。
 多くの国民の運動、要求により高校授業料の無償化が実現しましたが、それを廃止し、所得制限を設けたのは、ほかならぬ安倍政権だったではありませんか。自民党の皆さんは、この判断が間違いであったとお認めになるのですか。
 さらに重大なのは、高等教育が全ての国民に真に開かれていない状況をつくり出してきたのは、低過ぎる高等教育予算と高学費という政策を推し進めてきた歴代自民党政権だということです。
 そのもとで、今や、国立大学の初年度納付金は八十一万円、私立大学は百三十万円にもなります。この高学費が進学を諦める大きな要因になっています。
 また、進学をしても、多くの学生がアルバイトに追われ学業に励めず、本来、生活補填が目的のはずの奨学金を学費の支払いに充てざるを得なくなっています。さらに、有利子奨学金の拡大と延滞金、サラ金まがいの取り立てが学生や若者たちを苦しめています。
 この政策を転換し、学費の引き下げ政策に踏み出すことこそ政治が果たす役割だと、この間、私たちは繰り返し指摘してきました。
 しかし、安倍首相も松野文科大臣も麻生財務大臣も、一言たりとも学費の引き下げには触れなかったではありませんか。にもかかわらず、憲法を変えるという目的のために高等教育の無償化を書き込むなど、余りにも御都合主義だと言わざるを得ません。
 結局、安倍首相の真の目的は、教育の無償化をだしに九条を変えたいというものであることは明らかです。
 これに対し、やり方がひきょうだ、国民投票するお金があるなら奨学金へという批判が上がったのは当然であります。多くの世論調査でも、高等教育の無償化実現は憲法の問題ではないという意見が多数です。政策の転換によって早急に無償化にかじを切るというのが国民の願いです。
 無償化実現のために必要なことは、憲法を変えることではなく、今すぐでも教育予算を抜本的にふやし、学費の引き下げを行う政策判断をすることであると述べて、私の発言を終わります。

○赤嶺委員 二度目の発言ですが、私は、首相発言について、それぞれ、首相発言ではない、総裁発言であり党内に向けたものであるという自民党の方からの御主張もありましたが、あれは紛れもなく総理発言、首相発言で、やはり行政府の長が憲法審査会に不当な介入をしてきた、三権分立をじゅうりんするものだということを改めて申し上げたいと思います。
 国民的議論に値するということを先ほども申し上げましたが、これまで自民党は、憲法の改憲草案、九条二項を変えて国防軍にするというような主張がありながら、総理がああいう発言をしたらその方向になびいていくというのは、これは私は情けないなというのを本当に心から思います。
 それと、先ほど足立議員の方から、理想と現実が共産党的だという、ちょっとよく趣旨が理解できなくて、趣旨をはっきりさせろということは申し上げませんけれども、審査会の運営というのは、それぞれの党の、違う党の立場の人たちが出てきて合意に達するには時間がかかることであり、やはりそういう点では、民進党の筆頭を務めておられる方々の意見にも耳を傾け、開くべきでないという私たちの意見にも耳を傾け、そういう運営を会長はぜひやっていってほしい。
 理想と現実を憲法に照らしていえば、私たちは、理想である憲法があって、現実はそれと違うということを言っているのではなくて、憲法はあくまでも政府の側が、権力の側が守るべきもの、その守るべきものを守っていなくて、現実政治との乖離が生まれている、それを、もともと本来の目的である、憲法に沿った政治を行う、憲法を基準にして現実の政治を実行していくべきだということで、何か、理想と現実が違う、どういう趣旨で言ったかよくわかりませんが、それが共産党的だというのはさっぱり意味がわかりませんし、批判としても当たっていないなということを実感いたしましたので、意見を申し上げさせていただきました。

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