活動報告

沖縄の学童疎開船「対馬丸」撃沈72年 犠牲者を追悼 恒久平和祈る

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 太平洋戦争末期の1944年、沖縄の学童疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦に撃沈され、多くの児童らが犠牲になった事件から8月22日で72年を迎え、犠牲者を追悼する「対馬丸慰霊祭」(対馬丸記念会主催)が那覇市の「小桜の塔」で開かれました。

 

 遺族や生存者が参列し、大型のチョウ「オオゴマダラ」を空に放ち、黙とう。恒久平和実現を誓いました。

 

 沖縄戦が緊迫する中、「対馬丸」は44年8月22日、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員ら1788人を乗せ長崎に向けて航行中、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈。児童784人を含む1482人(氏名判明者)が犠牲になりました。

 

 沖縄県遺族連合会の宮城篤正会長は弔辞で「日本政府は大量の食糧確保のため戦力にならない老人、子ども、女性たちを沖縄から疎開させることを決定し、対馬丸への乗船命令を下した」と指摘。「戦争という悪魔によって夢と希望が絶たれてしまった。忌まわしい戦争の惨禍が繰り返されないよう、いっそう努力する」と語りました。

 

 生存者の高良政勝対馬丸記念会理事長は「亡くなられた皆さまが経験できなかった平和が末永く続いていく努力をあきらめることなく伝えていく」と追悼の言葉を述べました。

 

 当時9歳で6日間、漂流して生き延びた大宜味(おおぎみ)村の女性(81)は「二度と戦争をしないよう講演活動もしています。高江もそうですが米軍基地を造ることは許せない。基地を全面撤去しないと平和はこない」と話しました。

 

 城間幹子那覇市長、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員らも参列しました。(しんぶん赤旗 2016年8月23日)

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