エッセイ

基地のない沖縄へ 命(ぬち)どぅ宝対談

 
 
 
普天間打開の年に 安里猛宜野湾市長
全国の連帯大きく 赤嶺政賢衆院議員

 沖縄・米軍普天間基地問題―昨年は、同基地の「県内移設」反対が沖縄県民のゆるぎない総意となりました。そこにはどのような意味があり、今年、どう展望を開くのか。昨年11月、普天間基地を抱える宜野湾市で新市長に就任した安里猛(前副市長)さんと、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員が〝沖縄の心〃を語り合いました。

 赤嶺 新年おめでとうございます。市長になられたばかりですが、まずは今年の抱負からお聞かせください。

 安里 おめでとうございます。昨年の激動の1年の成果を踏まえ、今年の最大の課題はやはり、普天間問題の解決、これを何としても前に動かすことです。そして福祉とくらしを守り、基地に依存しない自立した経済をつくる点でも前進したいと考えています。

 赤嶺 地元紙は年末の社説で「2010年は、沖縄の近現代史に刻ま
れる年になる」「県内移設を拒む民意がかつてなく高まり、後戻りすることはあるまい」と書きました。11月の知事選で「県内移設」反対を正面に掲げた伊波
洋一(前宜野湾市長)さんが大健闘し、同時にたたかわれた宜野湾市長選で、伊波市政の継承を訴えた安里市長が誕生したことがそれを象徴しています。知事選
の結果は残念でしたが、「条件付き県内移設容認」だった現職知事に「県外移設」へと大きく態度を転換させたことは県民世論の勝利です。


 安里 私たちはこれまで、普天間の基地被害の実態を真正面から調査
し、その結果を広く市民、県民、そして全国に知らせてきました。その流れのなかで、「絶対に県内に新たな基地をつくらせない」という大きな変化が生まれ、
昨年1月の名護市長選挙で「辺野古の海にも陸にも基地はつくらせない」と公約した稲嶺進市長が誕生しました。そして、2月の県議会での「県内移設反対」の
全会一致決議、4月の9万人が参加した県民大会、そして知事選・宜野湾市長選につながっていったと思います。

 宜野湾市民の命の重みと、辺野古の住民の命の重みに違いはありません。これ以上、沖縄にさらなる基地の負担をかけるべきではありません。今年は日米両政
府からさらに激しい逆風が押し寄せるでしょう。しかし私は、基地被害の実態と県民、市民の願いを力にして、勇気を持ってしっかりと立ち向かっていきたい。

 赤嶺 昨年は本土と沖縄の連帯も大きく広がりました。「県内移設」を許さず、普天間墓地の閉鎖。撤去を実現させるため、今年はこの連帯をさらに大きく発展させたいですね。



沖縄本来の姿に

 

 赤嶺
沖縄では「県内移設」を決めた1996年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意以降、長らく県民が分断されてきました。99年には、県議会で
自民党を中心に、「普天間飛行場の早期県内移設要請決議案」が可決されたほどです。それが昨年2月には「県内移設」反対決議が全会一致で可決されるところ
まできた。日本共産党は最初からSACO合意に反対してたたかってきましたが、私は普天間基地を抱える宜野湾市政が「辺野古に移すことは問題の解決になら
ない」と頑張ってこられたことが非常に大きかったと思います。

 昨年の沖縄のたたかいの成果としてもう一つ特筆すべきは、基地は沖縄経済の発展の障害物だ、基地に依存しない新しい沖縄をつくろうということが大きな県民世論になったことですね。

 安里 その通りです。基地依存の歴史を変えていきたいということです。


 赤嶺
普天間基地の跡地利用の問題でも、伊波さん、安里さんが中心になって計画を作成し、基地に依存しなくても、いや基地に依存しない方が雇用も経済も発展する
ということを示してこられました。そこでは、現在、基地従業員207人にとどまっている雇用が、跡地開発によって約3万2000人の雇用へ大発展するとい
う数字も明らかになっています。これまで基地がなくなれば沖縄県民は暮らしていけないかのようにいわれてきましたが、そうではないということを今では政府
も認めざるを得なくならています。


 安里
私は普天間の跡地利用計画策定に途中から参加しましたが、大事にしてきたのは、沖縄のこれからの自立の中心となり得る跡地利用を行うことでした。戦前に
は、那覇から宜野湾・普天間を通って北部に抜ける物流の幹線がありました。それが普天間飛行場建設にともなう土地の接収で止められてしまいました。県民生
活の血管が止まってしまったのです。ですから背天間の跡地利用については、中南部という広域の視点に立った形での土地利用を行うべきだとの観点で進めてき
ました。



 赤嶺 なるほど。そこには戦前、松並木の美しい街道があった。沖縄本来の姿を取り戻したいという思いも跡地利用計画に込められたということですね。



 安里 その通りです。


 赤嶺
話は変わりますが、昨年12月21日に前原誠司外相が沖縄にやってきて、仲井真弘多知事と会談しました。外相は辺野古移設が実現しないならば普天間基地は
継続使用になるという驚くべき脅しをかけました。そして普天間基地は危険だから隣接する小学校や病院を移転したいという希望があれば政府として協力すると
いう趣旨の発言を行いました。安里市長は直後に怒りのコメントを出しましたがいかがですか。

 安里 航空機事故が起きる可能性が高いとして米空軍、米海兵隊の飛行場安全基準で土地利用を禁じているクリアゾーンには、3600人もの宜野湾市民が住んでいます。そのなかで学校や病院だけを移しても危険性は解決できません。

 赤嶺 危険性を除去するという口実で学校や病院をどかせというのは、まさに米軍の考え方そのものですね。

 安里
そうです。いま普天間飛行場の運用で一番問題なのは、日米両政府間で合意した騒音防止協定が守られていないことです。飛行ルートも守られていない。アメリ
カ本国ではきちんと守っているルールを沖縄では守らなくてもいいんだということが常態化しているのです。日本政府が「危険性の除去」をいうなら、まずはそ
こを押さえなければいけないのに、普天間使用継続で脅して、学校や病院を「移転」するというのは本末転倒です。

 赤嶺
騒音防止協定や飛行ルートが守られていない事実を知りながら、それには一言も触れずに「移転」をいうところに、民主党の変節ぶりがよく表れていると思いま
す。仙谷由人官房長官は沖縄は基地を「甘受せよ」と述べ、菅直人首相は「辺野古移設はベターだ」といい放ちました。SACO合意の時もそうでしたが、米軍
の言い分は基地の「整理・統合・縮小」です。「統合」はすなわち「たらいまわし」です。自民党政権時代もそうでしたが、民主党指導部の発言のルーツには常
に米軍の考え方があります。政府が沖縄の基地問題で県民の立場で立ち向かおうとしない。アメリカの目線でしか沖縄県民を見ることができないというのは本当
に情けないことです。

 安里 米軍基地あるが故の事
件・事故もずっと発生しています。女性への暴行事件などに加え、酒気帯び運転で逮捕されたり、酔っ払って個人宅に入り込む米兵が続出しています。このよう
な事件・事故は、基地の一部を整理したり統合したり、ここにあったものを向こうに持っていけば減るというものではないことを沖縄県民は知っています。

 これまで危険を強いられてきた県民が「沖縄にはもう基地はつくらせない」「普天間基地は閉鎖・撤去」と声を上げているわけですから、政府はきちんとその声に応える形で解決を図っていかなければなりません。


 赤嶺
もともと、沖縄の米軍基地は国際法に違反してつくられたのです。私もよくこの間題を国会で取り上げますが、その時はいつも『宜野湾市史』を参考にしていま
す。もともと普天間基地の場所には住宅はもちろん、役場も学校もあった。それを米軍が国際法に違反し、一方的に破壊して奪ったのです。

 安里 その通りです。

 赤嶺
沖縄の基地は「銃剣とブルドーザー」によってさらに拡張されていきます。海兵隊が本土から移転してきて広大な基地がつくられました。宜野湾市民が、こうい
う歴史的な事実に立脚しながら、生まれながらに国際法違反の基地は閉鎖・撤去が当たり前だと主張してきたことが、昨年の沖縄全体の劇的な変化をつくり出す
エネルギーになったと思います。

ぶれない勇気を

 赤嶺 激動の1年間を踏まえて今年の展望ですが。

 安里
赤嶺さんが本土との連帯の重要性をいわれましたが、私も自分の選挙でそのことを肌身で感じました。全国から期待と支援の声が届きました。中には実際に宜野
湾市に来ていただいて、候補者である私と同じように朝早くから夜遅くまで応援してくださった方もおられました。本当にうれしいことでした。

 赤嶺
沖縄県民は戦争が何をもたらすのかということを一番よく知っています。宜野湾市を含めて沖縄は筆舌に尽くしがたい地上戦が繰り広げられたところです。その
沖縄から戦争とはどんなものだったかという実相と、今日、基地はなくても憲法9条が日本の平和と安全を守る力になるんだということを訴えていきたいと思い
ます。地上戦を経験した沖縄県民だからこそ語れる平和の尊さ、「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)の心を、全国民にもっと発信していくということです。

 安里 それは誰も否定できないことですね。アジア圏の国々が友好的にこれから共存していく道をつくっていくことがとても大事なことだと思います。

 赤嶺
年末に政府が「防衛計画の大綱」を閣議決定しましたが、中国の脅威を口実にして、沖縄の先島地域に自衛隊を配備する計画が出されています。そうではなく、
やはり紛争があればまず外交で、戦争につながらない外交の力で近隣諸国との平和的な関係を築いていくことが大事だし、多くの国民とその思いを共有したいで
すね。

 安里 そのためにも、今年は普天間の「県内移設」を許さないたたかいをぶれずに勇気を持ってやっていきたい。これ以上、沖縄にさらなる基地の負担をかけることは許されません。地上戦を経験して肉親を失った沖縄県民として、そういうことを受け入れる余地は一切ありません。

 赤嶺 きょうは長持間、本当にありがとうございました。

 安里 こちらこそ。お互いに頑張りましょう。
(しんぶん赤旗 2011年1月4日)

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