国会質問

質問日:2010年 1月 22日  第174国会  予算委員会

普天間基地 無条件撤去/米と交渉を

 「抑止力」で犠牲強いるな

土地強奪・事故… 沖縄の悲劇説く

 「広大な沖縄の米軍基地を見て『これが日本を守る抑止力か』と感じるほうがおかしい。米軍基地のもとで虫けらのように扱われた県民の歴史に、思いをはせるべきではないか」―。日本共産党の赤嶺政賢議員は22日、衆院予算委員会で、自ら生きた沖縄の苦闘の戦後史を政府に突きつけ、米海兵隊普天間基地の無条件撤去を求める対米交渉をと迫りました。委員会室は、最後まで静まり返ったままでした。

20100123-%e8%b5%a4%e5%b6%ba%e2%91%a0 「普天間問題の原点に立ち返るべきだ」と強調した赤嶺氏。「沖縄の基地は住民の理解を得てつくられたものではない」と、米軍が国際法に違反して住民の土地を不法不当に強奪し、基地を建設してきた歴史を、自らの人生に重ねあわせながら告発しました。

 戦後65年間、米軍基地によって沖縄は戦闘機の墜落、爆音、殺人、暴行など「生涯忘れることのできない多くの悲劇を体験してきた」とじゅんじゅんと語る赤嶺氏。平和憲法のもとへの復帰に込めた願いは米軍基地の縮小・撤去であり、これこそ原点だと強調しました。

 その上で、1996年以来の「移設先探し」を批判し、「どこにも新たな基地をつくる場所などない」「移設先探しは必ず行き詰まる」と指摘。鳩山首相が野党時代、普天間基地は「代替施設なき返還を」と小泉首相に迫ったことをあげ、「今こそこの主張を実行に移すべきだ」と迫りました。

 首相は、「悲劇を繰り返さない環境をつくるのが政府の使命だ」としつつ、「抑止力」の観点から「日本のどこかに米軍が存在する必要性は感じている。移設先は考えていかなければならない」などと答弁しました。

 赤嶺氏は、「軍の論理より民の尊厳を大切にすべきだ。主権国家の総理なら、県民・国民の立場に立って普天間基地の無条件撤去の対米交渉を始めるべきだ」と厳しく求めました。

小沢氏疑惑 解明せよ

 赤嶺氏は質問で「政治とカネ」の問題もとりあげ、鳩山首相の偽装献金疑惑をめぐって使途不明の11億8000万円について追及。「検察から書類が返還されたらすべて国会に明らかにするのか」とただしましたが、首相は「極力みなさんに理解されるよう努力したい」と答えるだけでした。

 さらに赤嶺氏は、民主党の小沢一郎幹事長の土地購入疑惑について、問題の核心は4億円の土地購入資金の出所であり、公共事業を受けるゼネコンからのヤミ献金が疑われていると指摘。「首相は、自ら解明に乗り出すべきだ」と迫りました。

 首相は、「まずは事情聴取に応じる小沢氏を冷静に見守りたい」などと発言。赤嶺氏は、事情聴取に応じるのは当然のことであり、国会として政治的・道義的責任を明らかにしなければならないとして、小沢氏の参考人招致を要求しました。(しんぶん赤旗 2010年1月23日)

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普天間基地無条件撤去 米と交渉を

議事録

○赤嶺委員

 次に、私は、きょうは普天間基地の問題について聞いていきます。

 普天間基地は、沖縄県宜野湾市にあるアメリカ海兵隊の航空基地です。市のど真ん中に位置し、市民はその周辺を取り囲むようにして生活することを余儀なくされております。米軍ヘリや空中給油機、戦闘機が日常的にその上空を旋回し訓練を行っており、危険きわまりない基地であります。

 日米両政府は、一九九五年に起きた米兵による少女暴行事件、これに抗議して開かれた沖縄県民大会を契機に、普天間基地の返還に合意をしました。ところが、普天間基地にかわる新たな基地を沖縄県内に建設することが条件とされました。十三年以上が経過した今なお返還は実現しておりません。普天間基地の危険性は放置され、二〇〇四年には、普天間基地所属の大型のヘリが沖縄国際大学に墜落、炎上いたしました。

 こうしたもとで、鳩山政権が昨年九月、発足いたしました。この間、普天間基地の嘉手納基地への統合を初め、さまざまな移転先が取りざたされてきましたが、解決の見通しは立っていません。アメリカは現行計画どおり名護市辺野古への移設を強く求めており、袋小路に陥っております。私は、今、普天間基地問題の原点に立ち返るべきだと思います。
 総理に伺いますが、そもそも、普天間基地を初め沖縄の米軍基地はどのように形成されたという認識をお持ちでしょうか。

 

○北澤国務大臣

 お答えいたします。経過を私の方から御説明させていただきます。

 赤嶺委員も既に国会で何度かこの件について御発言をされておられます。

 おっしゃるとおり、昭和二十年の四月に米軍が上陸してきて、北上する部隊と南下する部隊がありまして、南下する部隊が来て、宜野湾市のところへ本土空襲のための飛行場を建設したという経過でありますが、私どもは、この問題を一日も早く解決するということで、官房長官がヘッドになってただいま真剣に討議をして、きょうの午前中の質疑でも総理からお話のありましたように、五月をめどに解決をしていきたい、このように思っておる次第であります。

 ちなみに、赤嶺委員が主張されているように、戦後つくられたということではなくて戦争中につくられたということは、どうも間違いのないことのようであります。

 現在のところ、地権者は三千百人ほどでありまして、地代は六十六億をお支払いしておりまして、このうち、宜野湾市の市民の皆さん方の地主率は七〇%、そして県内全域では九五%、こういう中で日本政府がこの地代をお支払いをしている。

 しかし、このことは日米双方で協議をした上で、これを日本に返還して、その代替地を辺野古沖につくりたいということで合意をしましたが、さきの衆議院選挙で沖縄の皆さん方の民意が高まって、現在、先ほど申し上げたような経過になっておる、こういうことであります。

 

○赤嶺委員

 総理、全くお答えになっていないですから、ちょっと私の方からも経過を説明して、さらに総理の認識も伺いたいと思いますけれども、沖縄の米軍基地は、まず、住民の理解を得てつくったものではないということであります。住民の土地を強奪してつくったものです。

 沖縄は、さきの大戦で、国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦を体験いたしました。米軍が上陸をしたら、住民が収容所に強制的に収容されているときに、戦争もまだ終わらないうちですよ、その間に軍用地、民有地を問わず接収して、米軍基地を建設いたしました。住民が収容所から帰ってきたら、鉄条網が張られ、自分たちの土地が基地に変えられていたわけであります。

 普天間基地がつくられた場所には、民家も役所も郵便局も墓地も、そして沖縄で言うサーターヤー、サトウキビを搾って黒糖をつくる製造所、そういうのも普天間基地の中にありました。米軍占領のもとで、そういうすべてのものを奪ってつくったのが米軍基地であります。

 それだけではありません。その後、広大な土地を戦争が終わらないうちに強奪した上に、サンフランシスコ条約が締結された一九五一年以降、米軍は、銃剣とブルドーザーによって抵抗する住民を強制的に排除して、基地をさらに拡張いたしました。

 私は、那覇の飛行場の近くの小禄の生まれです。そこに具志という地域があります。その具志地域では、サンフランシスコ講和条約が発効したかしなかったかという時期に、米軍が、水道タンクをつくってやるという理由で八千坪の土地を奪いました。実際に設置されたのは水道タンクではなく、米軍のガソリンタンクでした。土がかぶせられ、芝が植えられ、こんもりした緑の丘に見せかけたそのガソリンタンクの丘に抱かれるように私は成長いたしました。少年時代を過ごしました。

 住民をだまし討ちにしてガソリンタンクをつくった後に、米軍は大勢の武装米兵、そして装甲車、トラックで押し寄せて、土地取り上げに反対して座り込む住民を銃剣で殴り、軍靴でけり、頭から毛布をかぶせて片っ端から追放していきました。こういう土地強奪によって米軍基地は拡張されたわけです。一カ所ではありません。宜野湾市の伊佐浜や、伊江島や、県下各地で銃剣とブルドーザーによる基地の拡張が強行されました。

 私は、沖縄の米軍基地はこうした不法、不当な土地の取り上げによってつくられた、このように認識しておりますが、総理の認識はいかがですか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 今、赤嶺委員がお話をされましたように、特に普天間の基地に関して申し上げれば、先ほども北澤大臣からお話がありましたけれども、昭和二十年、まだ戦争が終わらないうちに、民有地を含めて米軍が接収をして、そしてその上につくったものだ、そのように理解をしております。それだけに、沖縄の県民の皆様方にとって、普天間の基地、いろいろな事件もあったわけでありますし、事故もあったわけでありますが、この経緯というものもありますだけに、普天間の基地は早く取り返してもらいたいという思いを強く持っておられるんだと思います。

 そのことを前提にしながら、そして、戦後というか、また普天間を移設する先が沖縄の中かという思いも多くの県民の皆様方に共有するお気持ちではないか、だからこそこれだけ長い時間がかかってしまっているということも理解をしていく中で、普天間の基地の移設先というものを、我々としても五月の末までに、時間をかけますけれども、最終的にしっかりと沖縄県民の皆さんの御理解もいただく中で決めてまいりたい、そのように考えておるところでございます。

 

○赤嶺委員

 こういう土地の強奪というのは、当時の国際法にも違反する行為であります。戦争においても最低限守るべき基準を定めたハーグ陸戦法規は、占領下における略奪や私有財産の没収を禁止しております。

 ですから、普天間基地は、今総理の認識も説明を受けましたが、生まれながらにして国際法違反の基地であります。こうしてつくられた米軍基地によって、戦後六十五年間、県民は耐えがたい苦しみを背負わされてきました。戦闘機の墜落、爆音、演習による原野火災、流弾、米兵による殺人、暴行、基地あるがゆえに起こるさまざまの被害や、そして、沖縄に生まれ育った者にとっては生涯忘れることのできない多くの悲劇を経験してきました。

 私が小学校に入学したその年には、由美子ちゃん事件という、六歳の少女が米兵に拉致され、嘉手納基地内で暴行されたあげくに殺され、米軍のごみ捨て場に捨てられるという痛ましい事件が起こりました。

 さらに小学校六年のときには、当時の石川市宮森小学校に嘉手納基地の戦闘機が墜落しました。パイロットは脱出装置で逃げる一方、機体は学校に突っ込んで、児童を含む十七名が死亡し、多数の負傷者を出しました。

 高校の入学の前には、青信号のときに横断歩道を渡っていた中学生の国場君、今でも名前を忘れることはできません、その国場君が米兵の車両にひき殺されながら、犯人の米兵は軍法会議で無罪になり、何のとがめも受けずに本国に帰りました。

 大学に入学したら、ベトナム戦争に出撃のため飛び立ったB52爆撃機が嘉手納基地の滑走路の端に墜落をいたしました。

 米軍による直接占領下で事件、事故は繰り返され、県民は虫けらのように扱われてきました。

 総理、普天間基地だけが例外的に無法に取り上げられて基地を形成したわけじゃないんです。こういうやり方で沖縄全体の米軍基地がつくり上げられてきた、こういう事件が繰り返されてきた、そして県民は共通のそういう忘れられない悲劇を今胸に秘めながら基地問題を考えている、このことについて総理はどのように認識されますか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 今、赤嶺委員から、切々とした沖縄県民の思い、余りにも多くの悲劇が米軍の基地によって起きてしまっているという現実のお話を伺いました。大変、それぞれ、赤嶺委員のみならず沖縄の多くの県民の皆様方が感じておられることだ、そのように思っております。

 したがって、このようなことが決して繰り返されないような状況をつくっていかなければならない。一方で、日本も、いわゆる安全保障という立場、状況を踏まえて考えたときに、米軍の存在というものを現在必要としているという状況の中で、どのような解決策があるかということを知恵を絞らなければならないことは言うまでもありませんが、そういう中で、今、赤嶺委員からお話があったさまざまな悲劇が繰り返されないような、そんな環境をできる限りつくり上げていくのが政府の使命だ、そのように考えております。

 

○赤嶺委員

赤嶺議員が委員会室で資料として配布した自身のパスポート

 そういう米軍の圧制下のもとに、米軍は、当時の小学生、中学生に、米軍の統治、民政がいかに県民に役立つものであるか、こういう「守礼の光」という雑誌を出しておりますが、この中には、極東の平和と安全保障を考えるのであれば、沖縄県民は日本に復帰することなど考えてはいけない、このように書いてあるんですよ。こういう雑誌が、祖国に返ることさえ、安全保障の名前で我々は抑えつけられてきたんです。

 そして、一九七二年、沖縄県が祖国に復帰をいたしました。祖国復帰にかけた県民の思いはどういうものであったか。

 きょう、私は、当時、学生時代に私自身が使っていたパスポートを持ってまいりました。資料としてお手元に配付しております。

 このパスポートの中に訳文とありまして、正文は、米国民政府、「琉球住民赤嶺政賢は、日本へ旅行するものであることを証明する。 琉球列島高等弁務官」、このように書いております。それで、私が大学の授業が始まって本土に戻ってきたときには、「日本国への帰国を証する。」日本国への帰国だったんです、ふるさと沖縄から東京に戻るときは。それから、東京からふるさとに戻るときは、「日本国からの出国を証する。」つまり、沖縄は外国だったんですね、米国の施政下にありますから。

 私にパスポートを発行した琉球列島高等弁務官というのはどういう立場の人かといいますと、琉球列島米国民政府の最高責任者で、絶大な権力を持って県民の上に君臨をしておりました。当時、琉球立法院、県議会のようなものが、民選の議会がありました。琉球立法院。定例日の開会日にだけ正面玄関があくんです。何のために。この高等弁務官が沖縄県民にメッセージを送るために。そして、沖縄県民から選ばれた琉球立法院の議員は、その高等弁務官のメッセージを聞かなければいけない。その神聖な県民の代表である立法院で米軍の高等弁務官のメッセージの行動をやめさせるために、沖縄県民は激しい闘いをやりました。県民の上に君臨するなという闘いでありました。

 すべては軍事が優先されていたんです。高等弁務官は現役の軍人から、アメリカ本国の国防総省から任命をされていたんです。だから、県民は軍事優先の無権利状態でした。

 平和憲法がある日本に復帰を果たしたら、当然米軍基地はなくなる、少なくとも米軍基地は縮小される、このように思っていました。ところが、基地の島、沖縄の現実は何も変わらなかったわけです。憲法の上に安保があったからです。

 ですから、あの米軍の直接占領統治下に起きたようなことが今でも繰り返されている。九五年に、総理もよく御存じの米兵による少女の暴行事件が起きました。そのときに、沖縄県民はあの由美子ちゃん事件をみんな思い出していたんです。二〇〇四年に沖縄国際大学にヘリが墜落しました。そのときに、沖縄県民はあの宮森小学校へのジェット機墜落事件を思い起こしていました。こんな不条理なことが復帰後の今でも繰り返されている。

 復帰のときに、政府は沖縄県民に、いや、今からは沖縄の米軍基地も安保条約のもとに置かれますから、日本の防衛のために使われるんですから、アメリカの勝手な基地の使い方は改善されると思います、当然基地も整理縮小しますといって、一九七一年の沖縄国会では沖縄の基地の整理縮小決議も上げたんですよ。そういう期待も持っていたわけです。ところが、日米安保優先のそういう自公政権のもとで、県民の声は押しつぶされてまいりました。県民の声にこたえる政治はありませんでした。

 政権は交代したんです。そして、政権がかわった今だからこそ、政府の当初の約束どおり、沖縄の米軍基地の縮小、撤去、ここに取り組むべきではありませんか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 赤嶺委員にお答えいたします。

 今、るる沖縄の県民の思い、そして歴史的な変遷、その中での米軍の基地のあり方のお話をいただきました。そして、パスポートまで見せていただきました。そのような思いの中で、日本に、本土に、復帰をされた沖縄の県民の皆様方の思いを感じるときに、当然のことながら、米軍の存在のあり方というものを非常に真剣に考えなければいけないことは言うまでもないことだと思っております。そして、その文脈の中で今普天間の移設先が求められているということも事実だと思っております。

 私は、したがって、だからこそ、今赤嶺議員のお話などにも耳を傾けさせていただいているところでございますが、沖縄の県民の皆様方の大変な今日までのつらさ、思いというものをしんしゃくしていく中で、米軍の基地のあり方、縮小という話もありました、将来的にどのような米軍の再編、日米の安保のあり方というものを考えるべきかというお尋ねの中での結論を見出してまいりたいと思っておりまして、その意味でも、どうぞ、私どもの新政権が五月までに普天間の移設先を必ず決めてまいりたい、その中で、沖縄の県民の思いというものも理解する中での結論を出してまいりたい、そのように思っておりますので、御理解を願えればと思います。

 

○赤嶺委員

 総理、私、県民の思いを今歴史的に述べたつもりです。五月までに普天間の移設先を決めていきたいというお話がありましたが、県民の思いを受けとめる立場に立てば、沖縄の米軍基地問題は縮小、撤去に取り組むべきだ、そういうことを申し上げたわけです。

 それで、少し具体的に今の問題について質問していきたいと思います。

 鳩山内閣は、辺野古にかわる新たな移転先、五月までという検討を進めてきておるわけですが、岡田外相は、普天間基地の嘉手納基地への統合を検証対象に挙げられました。外務大臣は、沖縄を訪問し、嘉手納町長や北谷町長や沖縄市長らとこの問題で会談をしてきましたが、地元の首長さんは何と言っていらっしゃいましたか。

 

○岡田国務大臣

 お答えします。

 私は、昨年十一月、十二月、二度沖縄を訪問いたしました。嘉手納飛行場、それから嘉手納町の役所を訪問いたしまして、そこで、町長あるいは市長とお会いをさせていただきました。二人の町長そして沖縄市長が言われたことは、騒音の問題の厳しさ、そういう中で、嘉手納への移転は反対であるということを言われたわけであります。

 私が申し上げたことは、もちろん、今のような騒音、それをさらにふやすような解決策はない、したがって、嘉手納統合ということであれば、それは今よりも騒音が減るような、つまり、嘉手納の機能の一部を他へ移転するということがセットでないとそれは答えにならないということを申し上げたところであります。

 

○赤嶺委員

 嘉手納の機能を一部他に移転して負担の軽減の見通しはつく、そういうお話が嘉手納町長からありましたか。

 

○岡田国務大臣

 嘉手納統合の話というのは、当時、その可能性について検証を行ったところですが、今、改めて官房長官のもとで検討委員会が設けられ、そこでゼロベースで議論しているところでありますので、余り嘉手納統合の話を今ここで詳しく述べるのは必ずしも適切でないというふうに思います。

 ただ、事実関係ですから申し上げますが、嘉手納町長からは、機能を移転するということは現実的でない、そういう見通しを聞かされました。

 

○赤嶺委員

 機能移転を考える方が、これは沖縄の米軍基地問題の事の本質を認識していないことのあらわれだと私は思うんですよ。

 嘉手納基地の訓練は移転しても、なお騒音はふえているわけです。嘉手納町長のお話ですと、この嘉手納基地の周辺に広大な訓練空域があり、訓練海域があり、実弾の射爆撃場がある、使い勝手のよい米軍基地のインフラがこれだけ整っているところで、一部訓練を移転しても、あいているなら使わせてくれと言ってどんどんやってくる、こんな使い勝手のいい米軍基地で、一部の訓練機能を移転したからといって負担が減るわけはない、こうおっしゃっていたんです。私は、嘉手納町長にもお会いしましたし、嘉手納の嘉手納基地統合案反対の町民大会にも参加をしてきました。普天間基地が嘉手納に統合して負担が軽減するのは妄言だ、このようにおっしゃっておりました。

 鳩山総理は、嘉手納統合案についてはどんな認識をお持ちでしょうか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 先ほど岡田外務大臣が話されましたように、今、この普天間の移設先を決めるに当たって、官房長官を長とする委員会をつくっておりまして、その中でゼロベースで検討するということにいたしております。

 今、私の口からどこがいいとかどこが悪いとかいう具体的なことを申し上げるのは差し控えさせていただきたいと思っておりますが、いずれにしても、沖縄の県民の皆様方にとってトータルとして負担が軽減されたなと思うような形でなければ解決はあり得ないものだ、そのように考えております。

 

○赤嶺委員

 私、これまで、嘉手納統合案について外務大臣とも何度か論戦を交わしてきましたが、そのときも率直に私の意見を申し上げましたけれども、嘉手納統合案を出してきた瞬間、ああ、鳩山内閣は沖縄の基地問題の深刻さを理解していないな、そういう不信の感情が広がりました。これは、沖縄、地元に行って岡田外務大臣もひしひしと感じられたことだと思います。

 ところが、今、官房長官は席を立たれてしまいましたが、官房長官を責任者とする検討委員会、その後も県内移設が取りざたされているわけです。宮古島市の下地島あるいは伊江島、これらが選択肢に挙げられ、沖縄を訪問した平野官房長官が上空から視察をしたわけです。

 下地島は、民間航空機のパイロットを養成するための飛行場がある場所です。本土復帰を前にした一九七一年に、当時の琉球政府の屋良主席と政府との間で覚書が交わされ、軍事利用はしないことに合意している場所です。

 私、パイロットを退職した方から直接伺ったことがあるんですが、海外から飛行するときに、下地島の上空に来たときに本当に安心するというんですね。下地島の上空なら、自分がパイロットの最初のころに訓練を受けた飛行場だから、どんなことが起きても対応できる、こういう安心感を与える場所だ、こう話しておられました。だから、軍事利用反対という、きょうは屋良主席との覚書も持ってまいりましたけれども、そういう場所なんです。

 伊江島の米軍飛行場は、パラシュート降下訓練や物資投下訓練が行われ、たびたび米兵や物資が基地の外に過って落ちてくる。あるいは、向こうの米軍の滑走路は砂利敷きなんです、舗装されていないんです、野戦用ですから。ですから、米軍の戦闘機の離発着のときには物すごい石つぶてが畑に飛んでいく、伊江島の重要な産業である葉たばこの葉っぱがこの砂利から大きな被害を受けている、こういう場所なんですね。今でも基地被害は大変なところ。

 下地島も伊江島も、普天間基地の移設に反対する議会の抗議決議も皆さんの行動の直後に採択をされました。結局、県内のどこにも新たな基地をつくる場所などない、こういうことじゃありませんでしょうか。

 こういう沖縄の現実を総理は直視すべきではありませんか。何かゼロベースというと、これは沖縄も対象になっているという話になりますから、やはり沖縄の現実を直視すべきだ、このように思いますけれども、いかがですか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 当然、沖縄の県民の皆様方の思い、現実というものを大切にしていきたいと思います。

 五月末ということでありますから、あと四カ月ということになります。その間に、沖縄の県民の皆さんにも理解のある解決をしなければならないということでありますので、当然、県民の皆様方の思いというものを大事にさせていただく中で結論を見出してまいりたいと思います。

 

○赤嶺委員

 新たな移転先を探そうとしても、あの狭い島に新たな基地をつくる場所はないんです。結局、辺野古に戻ってくるんではないかというのが県民の不安であります。

 鳩山総理自身が十二月上旬に、年内決着を先送りする、このように述べた際に、記者団から新基地建設は白紙に戻ったのかと問われたのに対して、当然生きている、このように述べられました。

 辺野古は、ジュゴンがすみ、そのえさである海草、藻場が広がり、そして世界最大規模のサンゴ群落や貴重な動植物の発見が相次ぐなど、沖縄の自然環境保全条例でもランク1に位置づけられた地域であり、ちゅら海であります。

 移転先探しは必ず行き詰まる、私はこのように考えています。また、私だけでなく、だから十三年間普天間は動かなかったということが言えます。この問題を解決するためには、移設条件つきではなくて普天間基地の無条件撤去しかない、そうではありませんか。

 

○岡田国務大臣

 この問題、議論のスタートは、現在の普天間基地の危険な状況を除去しなければならない、ここから始まっているわけであります。除去するために、普天間の機能をどこかに移さなければならない。

 私は、沖縄を訪れまして、確かに基地が非常に多いということは実感をいたしました。しかし同時に、米軍基地があって、その抑止力によって日本の安全が保たれているということもそのときに感じたわけでございます。

 今回、この見直し作業、官房長官のもとで行われております。これはゼロベースで行うということでありますので、もちろん県内、県外いずれも可能性を今さまざま検討しているところでございます。すべて日本からなくしてしまうという前提に立ちますと、米軍基地の果たしている日本の安全を確保するための抑止力というものが失われてしまうということになりますので、そこはやや前提が委員とは違う。米軍基地が日本からないことが望ましい、そういう前提に恐らく立っておられると思いますが、我々はそういう前提には立っていないということは申し上げなければならないと思っております。

 

○赤嶺委員

 私の意見を言っているんじゃないですよ。十一月八日の県民大会のときにも、県内移設に反対し、即時無条件返還を普天間基地については求める。これは別に基地問題の認識の違いではないですよ。

 大体、沖縄におりて、広大な米軍基地を見て、ああ、これが日本を守っている抑止力か、こんなふうに考える方がおかしいじゃありませんか。この米軍基地のもとで虫けらのように扱われた沖縄県民の歴史に思いをはせるべきではありませんか。何で抑止力ですか。今度の、抑止力、抑止力と言って、これが沖縄県民に六十五年間米軍基地を押しつけてきた、米軍基地がちっとも減らない論理だ。

 そして、地元の沖縄タイムス、琉球新報も書きました。一月一日の琉球新報では、軍の論理よりも民の尊厳を、こういうことなんですよ。今、普天間基地の即時無条件撤去を求めているのは、あの米兵の犠牲になった少女の事件を契機に、県民が共通に要求していることですよ。

 私は、安保を廃棄して日本の米軍基地は全部撤去すべきだ、そういう考えは持っています。しかし、今沖縄県民が要求しているのはそのことではありません。やはり民の尊厳が、人間の尊厳が余りにも米軍基地によって、軍事優先の論理によって抑えつけられてきた、この事態を、今、民主党政権になったんだから、米軍再編の見直しも言っているんだから、それを、自公にはできなかったことだからやるべきじゃないか。

 総理は、野党時代の二〇〇五年七月、沖縄等米軍基地問題議員懇談会の会長として沖縄を訪問されました。辺野古の海、嘉手納基地、普天間基地、そして金武町伊芸区の都市型戦闘訓練施設などを調査いたしました。私も御一緒させていただきました。

 伊芸区では、調査現場で住民との懇談も行われました。そのとき、お年寄りの皆さんが鳩山代表の足元にひざまずいて、実弾射撃訓練の中止を強く訴えました。そのときのことを覚えていらっしゃると思うんですが、覚えていらっしゃいますか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 赤嶺委員方とともに、沖縄の米軍基地等の問題を研究する勉強会で、確かに、あれは二〇〇五年でしたか、実弾射撃場のところまで参ったことはよく覚えております。

 

○赤嶺委員

 その後、総理は当時、沖縄から戻ってこられまして、本会議で、県民の声を十分聞いて、直ちに実弾射撃訓練を中止するよう政府に求めておられました。そして、この普天間基地問題については、代替施設なき返還をアメリカに求めるべきだと当時の小泉首相に迫っておりました。

 政権についた今こそ、この主張を実行に移すべきではありませんか。

○鳩山内閣総理大臣

 私もかつて、そのような思いを持ったと思います。

 ただ、御案内のとおり、やはり現実の中で、この米軍の存在、これは、先ほど岡田外務大臣が抑止力と申したのは、抑止力のために米軍基地が沖縄に存在しなきゃならぬということを申したわけでは必ずしもありません。しかし、日本のどこかにおいて米軍が存在をするということの必要性は我々も感じているところでありまして、そういう中で、したがって、今普天間基地の移設先をやはり真剣に考えていかなければならないという発想の中で政府として行動いたしております。

 

○赤嶺委員

 抑止力は、後で申し上げますけれども、普天間基地の代替施設なき返還を野党時代に求めていたということはお認めになったわけですが、あのときも、沖縄県民には自公政権が盛んに抑止力だ、抑止力だ、このようにおっしゃっていましたよ。そういう中で、鳩山総理はこの質問の中で、小泉総理に向かって、あなた方は抑止力の維持強化で沖縄の基地を強化しようとしているんじゃないかと厳しい追及を行っているんですよ。やはり沖縄の立場に立てば代替施設なき返還を求めなきゃいけないと、当時の小泉首相に迫っているんですよ。

 あのときと今と何が違うんですか。国際情勢の変化があるんですか。何が違うから代替施設なき返還を求める立場から離れていくんですか。今こそあの立場で頑張るべきじゃないですか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 私は今、まさに現実の中で、それこそ一日も早く普天間基地が返還されることを期待しているわけでありまして、その中で、現実的にそれをどうすれば一日でも早く実現できるか、それを考えているところでございます。

 代替の基地がなくてできるかという思いもありましたが、米軍との交渉をかんがみたときに、それは現実的に不可能だ、だとすれば、どのようにすれば現実に普天間の基地ができるだけ早く返還されるかということを求めるべきではないか、そのように思っておりまして、その中で解決策を講じてまいりたい、そのように感じています。

 

○赤嶺委員

 総理、きょうの議論の始まりのときから、沖縄県民の思いについて受けとめておられるか、このように考えておりましたが、やはり肝心かなめの、問題の核心に近づくにつれ、アメリカとの日米合意を持ち出してくる。

 沖縄県民の気持ちも大事、日米合意も大事、そういう総理の言い方について、私の周辺では、主権国家日本の総理であれば、アメリカと沖縄のどちらをとるかと言われたら、両立できないわけですから、これは沖縄県民、日本国民の立場に立って、そして野党時代に求めていた代替施設なき返還、これをちゃんと求めたらどうですか。

 

○鳩山内閣総理大臣

 だからこそ、私どもは今、平野官房長官のもとで、連立与党三党が協力をしていきながら、一日も早く普天間の基地の移設が認められるように、そして、トータルとして沖縄の県民に対して負担が軽減される道を模索して、解決策をつくり出そうと努力しているところでありまして、赤嶺委員にも御協力をむしろ願いたい、そう思います。

 

○赤嶺委員

 私の最大の協力は、アメリカに無条件撤去を求める、そういう立場に総理が立てば大いに後押ししていく、沖縄県民と一緒にそれを頑張っていくという立場であります。

 嘉手納から訓練移転をしても、本土の自衛隊五つの基地に嘉手納の戦闘機の訓練が移転したけれども、嘉手納基地は結局ほかのところから訓練機がやってきて騒音はふえた。

 総理と私が御一緒した金武町伊芸区も大変深刻な実態があの当時あったと思います。でも、一九九六年、七年、SACO合意のころに、海兵隊の実弾砲撃訓練、あれが本土の方に移転したんです。では、沖縄県民の負担は軽減されたか。総理と私が行って深刻な基地の被害の実情を見たように、変わらないんです。結局、アメリカの軍事力優先に立てば基地問題は解決しないんです。

 大体、私たち日本共産党は、海外の遠征部隊として横須賀や三沢や沖縄に米軍基地が置かれていると考えておりますが、沖縄の海兵隊は殴り込み部隊じゃないですか。イラク戦争やアフガン戦争に出動している部隊じゃないですか。あの沖縄国際大学にヘリが墜落したときも、あのヘリはイラク戦争の準備のために展開中の事故じゃないですか。日本防衛のための事故じゃないですよ。日本防衛の任務を持っていないということをアメリカの政府高官はアメリカの議会で何度も言っているんですよ。抑止力という言葉で、沖縄に軍事優先という立場を押しつけてほしくない、このように思います。

 沖縄の基地問題、これは、いかにして米軍基地の縮小、撤去を進めるかという問題です。ところが、九六年のSACO合意以降、移設先探しの問題にすりかえられてきました。

 九五年の県民大会で、当時普天間高校三年生だった仲村清子さんは、このように訴えております。

 今、このような痛ましい事件が起こったことで、沖縄は全国に訴えかけています。決してあきらめてはいけないと思います。私たちがここであきらめてしまうことは、次の悲しい出来事を生み出してしまうからです。

 いつまでも米兵におびえ、事故におびえ、危険にさらされながら生活を続けていくのは私は嫌です。未来の自分の子供たちにもこんな生活はさせたくありません。私たち子供、女性に犠牲を強いるのはもうやめてください。

 若い世代に新しい沖縄のスタートをさせてほしい。沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います。そのために、私も一歩一歩行動していきたい。私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください。

 これは、九五年の少女暴行事件で抗議して八万五千人の県民大会が立ち上がった会場での、当時の高校生仲村清子さんの訴えです。

 原点は、基地のない静かな沖縄を返してほしい、そこから普天間基地問題が大きな世論になっていったんです。ところが、移設条件つきだから、十三年たっても危険は放置され、いつまでも解決しない。移設条件つきを外して普天間基地の撤去を求めれば、これはたちまち解決をするわけです。この仲村清子さんの思い、この思いに対して総理の認識を聞かせていただきたいと思います。

 

○岡田国務大臣

 沖縄の皆さんが大変な負担のもとにその重圧に苦しんでこられたこと、そのことは我々政治家として十分にわきまえて、踏まえていかなければいけないというふうに思っております。

 委員は嘉手納の現状について言及されましたが、嘉手納の基地の騒音が決していい状態にない、解消していないということは我々も認識をしておりまして、その騒音の負担の軽減のために、これは日米間でしっかりと話し合いをしたい、そういうふうに考えているところでございます。

 委員が沖縄か米軍かと言われましたが、ここのところは、私はそういう選択肢ではないというふうに思います。沖縄の負担をいかに減らしながら、しかし日本全体としては、やはり日本の安全を米軍の抑止力のもとで維持していくということは重要でありますので、その問題、どうやって日本の安全を確保していくか、沖縄の負担を軽減しながら確保していくか、そういう問題であって、沖縄か米軍か、そういう選択肢の問題ではないというふうに考えております。

 

○赤嶺委員

 沖縄は復帰のときに、基地を減らしますということを日本政府は約束したんです。復帰後も減っていなくて、こういう事件が繰り返されているんです。返還をしますと言ったら、移設先を探さなければいけないと言って、さらにこの十三年間、沖縄の負担は何も軽減していないんです。今までの自公政権がやってきた同じ失敗を民主党政権も繰り返すんですか。それよりは、鳩山総理が野党のころに、沖縄の基地の現状を一緒にごらんになってきて、その結論として本会議場で、代替施設なき返還、これを求めていくと。そういう立場に立つことを繰り返し私は訴えたい、このように思います。

 九七年の名護市民投票以来、県民は一貫して新基地建設に反対をしてきました。普天間基地の即時閉鎖、撤去、辺野古への新基地建設と県内移設反対が県民の総意であります。十一月八日にも二万一千人が参加して県民大会が開かれ、そしてそのことを改めて示しました。総理は、県民の総意を正面から受けとめて、県内たらい回しをやめ、本腰を入れて普天間基地撤去の対米交渉を始めるべきであります。

 今、沖縄で起こっていることは対等な日米関係ではありません。およそ世界に大国と自任するアメリカであれば絶対にやってはいけない非人道的な蛮行、犯罪、これを繰り返しております。そういう中で、アメリカも大事、沖縄も大事、こういう立場に立ったら問題は解決しない。主権国家の総理として、県民の立場、国民の立場に立ってこの問題の解決に当たるよう強く求めて、私の質問を終わりたいと思います。

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