国会質問

質問日:2015年 11月 11日  第189国会  厚生労働委員会

2015年9月11日 第189国会 衆議院厚生労働委員会

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戦没遺骨収集を強化 戦争の実相継承に意義

議事録

○赤嶺委員

 日本共産党の赤嶺政賢です。

 まず冒頭、この数日来、北関東そして東北地方を襲っております水害、大災害について、被災者の皆様にお見舞い申し上げるとともに、政府におかれてもその対応、対策をしっかりやっていただきたい。私たちも災害対策本部をきのうつくりまして、塩川鉄也国対副委員長を先頭に、今、現地調査にも入っているところであります。

 ちょっと久しぶりの厚労委員会での質問ということになりました。きょうはよろしくお願いいたします。

 戦没者の遺骨収集について、塩崎大臣に伺っていきます。

 ことしは戦後七十年です。私は、一九四七年、沖縄で生まれました。私が幼いころ、父親の畑仕事での役割は、戦没者の遺骨が畑に散らばっている、これを拾い集めて、そして畑の四隅に積み上げておく、これを毎日のようにやらされました。拾っても拾っても次々遺骨が出てくるという状況でありました。やはりちょうど私たちの世代は、みんな共通の体験としてそのことを語ります。

 厚労省の資料によりますと、海外で戦死した人は約二百四十万人、収容した遺骨は百二十七万人になっておりますが、十五年前の数字が出てきまして、十五年前が百二十三万人でしたから、十五年間で遺骨の収容というのはわずか四万人ということにしかなっていないわけです。

 遺骨収集というのは、戦没者の方々の遺骨を遺族に返すことが最終目的だと思います。遺族に返す努力を怠らず、遺骨を遺族にお返しするまでが国の責務としての遺骨収集である、こういうことでよろしいでしょうか。

 

○谷内政府参考人

 お答えいたします。

 先生御指摘の遺骨収集帰還事業の目的でございますけれども、先生がおっしゃいますように、さきの大戦で戦没した方々の御遺骨の収集帰還事業は国の責務でございまして、一柱でも多くの御遺骨を早期に可能な限り収容して御遺族にお返しすることが目的だというふうに思っております。

 

○赤嶺委員

 念のための確認ですが、戦没者には、軍人軍属以外に住民、民間人も入っていると考えますが、それでよろしいでしょうか。

 

○谷内政府参考人

 お答えいたします。

 議員御指摘のとおり、戦没者の中には、軍人軍属以外に、海外等で亡くなられた一般住民の方も含んでいるところでございます。

 

○赤嶺委員

 先ほど来の議論で、遺骨収集、遺族のもとに返還をするということと同時に、戦争を知らない世代に対する歴史の継承というのもありました。問題は、どんな歴史を継承するかだと思うんですよ。

 沖縄に、ガマフヤーというボランティア団体が活動をしております。遺骨収集をすると戦争の実相が見えてくる、こうおっしゃるんですね。遺骨収集の作業中に、手りゅう弾やあるいは小銃弾など、さまざまな戦争の遺物を発見している、それらを見ていくと、いかにあの戦争が無謀で、しかも人命も人権も無視した残忍なものであったか、戦争の実相がよくわかる、このようにおっしゃるんです。

 激戦地の那覇市の、今も中心地になっておりますが、真嘉比という場所で収集作業を行ったときに、米軍の小銃弾が五百十一発見つかったのに対して、日本軍のものはたったの五発だったそうです。沖縄戦の体験者は、よく、一発撃ったら百発返ってきた、こういう証言をやりますけれども、それが大げさじゃないということが裏づけされております。

 また、日本軍の戦い方ですが、タコつぼごうという一人用の小さなごうを掘って、そこに潜んで地上戦を戦ったりしています。このタコつぼごうというのは、一度入ってしまえば逃げ場がない、そういう戦法でありました。幾つかの遺骨がタコつぼごうからも発見をされています。

 たくさんの手りゅう弾も発見されておりますが、中には陶器製のものがあります。最後の方は日本軍に金属で手りゅう弾をつくるほどの物資がなく、とうとう陶器製にしてまで手りゅう弾をつくっていたことがわかります。

 人命軽視の戦法をあっちこっちでとっていた、こういう戦争の実相も継承していく大事な意味があると思いますが、大臣はいかがお考えでしょうか。

 

○塩崎国務大臣

 遺骨収集帰還事業に学生や青年に参加していただくことなどによって、さきの大戦の記憶を次世代に継承していくということは大変重要な意義があると考えているところでございまして、今回の議員立法におきましても、これは国の責務ということでありますけれども、国民挙げてこの問題にしっかりと向き合うということも大事な点ではなかろうかというふうに考えているところでございます。

 

○赤嶺委員

 戦争の実相を知れば知るほど、祖国や家族を思い、遠い異郷の地で亡くなっていったという、その言葉だけでは語り尽くせない、いわば遺骨収集の現場での問題があると私は思うんですね。やはり戦争ほど残忍で汚辱にまみれたものはない、そういうようなことが遺骨収集から見えてくるわけですから、そういう記録もしっかりとっていただきたい、このように思っております。

 七十年たって、いろいろな課題があります。政府として、今度、議員立法でもいろいろ言われておりますが、今後どういう課題に取り組んでいかれるのか、そしてあわせて、地上戦が繰り広げられた沖縄での遺骨収集の今後の課題について端的に説明していただけますか。

 

○谷内政府参考人

 お答えいたします。

 先生から遺骨収集帰還事業の課題ということでお尋ねいただきましたけれども、やはり戦後七十年が経過いたしまして、御遺族や戦友が既に高齢化して、当時の状況を知る方が少なくなっておりまして、遺骨情報が減少しております。また、先ほどから申し上げておりますように、比較的遺骨収集が容易な埋葬地も少なくなってきているということの事情から、先ほど先生がおっしゃいましたように、遺骨収集の数も減ってきております。困難な状況になってきているというふうに理解しております。

 したがいまして、厚生労働省におきましては、情報収集が今後大事だというふうに考えておりまして、諸外国の国立公文書館等が保有する資料の情報収集の強化を図りますとともに、そういった海外におきます遺骨収容が円滑に進むよう、外務省を通じまして相手国政府との交渉などを行いまして、事業実施の環境整備に努めていきたいというふうに考えております。

 あと、沖縄におきます遺骨収集帰還事業でございますけれども、現在は国と沖縄県が遺骨収容を行ってきておりますけれども、平成二十七年八月末現在で十八万七千二百五十柱の遺骨を収容しているところでございます。

 沖縄の遺骨収容につきましては、重機によります掘削等が必要な大規模なごうにおきましては国が、それ以外の地域につきましては県が遺骨収容を実施しております。また、平成二十三年度からは戦没者遺骨収集情報センターで遺骨収容に係る情報を一元的に収集する事業を沖縄県に委託しておりまして、国と県で今後とも連携を図りながら遺骨収容を進めていきたいというふうに考えております。

 

○赤嶺委員

 そこで、ちょっと沖縄での遺骨収集が抱えている課題についてもお聞きしていきます。

 沖縄では、米軍基地が返還をされて跡地利用の区画整理が始まるとか、あるいは自治体での区画整理事業が始まるとか、土地を掘り返したら必ずその公共事業の中で遺骨が発見されるケースが、数多くあります。激戦地だった場所は、県民の記憶にも大変生々しいあの地域が区画整理事業に入るのかというものを持ちます。

 沖縄で例えば公共事業を実施するに当たって、不発弾の探査は義務づけられているわけです。ところが、遺骨については特に義務づけはないわけですね。発見したら警察に知らせてとか、いろいろな手続を経るということになっていますが、遺骨についても、地面を掘り返す場合に十分に配慮すべきよう、やはり注意を喚起すべきルールを持つべきじゃないか。

 先ほど、硫黄島では、遺骨が地下に埋まっているかどうか、滑走路のもとでの探査というお話もありましたが、そういうものがルール化されないで、見つかったら知らせてくださいという受け身じゃなくて、ルール化すべきじゃないかと思いますが、この点はいかがですか。

 

○谷内政府参考人

 お答えいたします。

 議員御指摘のように、沖縄では、例えば土地区画整理事業の対象地域で工事をした際に遺骨が出る場合が多くあるというふうに聞いているところでございます。事業者がそういった工事をしている際に御遺骨を発見した場合には、先ほど議員御指摘ありましたように、必ず警察には連絡して、警察から、もしくは直接に県にも連絡が行っているというふうに聞いているところでございます。

 また、その事業者が出てきた御遺骨を丁寧に扱っているというふうには思っておりますけれども、例えば、遺骨収集帰還事業に参加される方には作業等要領というのが幅広く流布されておりますので、必要に応じて、また事業者にそういった作業等要領についても配付することも考えていきたいというふうに思っております。

 

○赤嶺委員

 作業等要領を徹底しているので、遺骨収集作業に当たる事業者も遺骨の尊厳を守りながら丁寧にやるだろうというお話でしたけれども、これを読んでいっても、やはり、土を掘り返して、ベルトコンベヤーに土を載せて、その中から出てくる遺骨を拾う、こういうことについての留意というのはこれには何も書いていないんですね。今までのそういうものでいいんだという話ではないと思うんですよ。

 遺骨がきれいな形で、完全な形で見つかるのは、教育委員会の公共事業地域における埋蔵文化財の調査、あれは丁寧にやりますからね。非常に丁寧にやっていく。そうしたら、やはり、例えばごうの中で避難していた方、ごうが落盤して亡くなった、いわば本当に遺骨がきれいな形で出てくるわけですね。私も現場で見たことがあります。

 ある戦没者の遺族が、戦争中にあなたのお姉さんはあのごうに隠れていたよということで、七十年そのごうのあたりに通い詰めて、だけれども、草木に覆われて場所がわからない。思い余った遺族は、この地域で区画整理事業が行われるということを聞いて、自治体にお願いしたんですね、区画整理事業をやるときには、この場所に自分の姉が眠っているかもしれないと。それで丁寧な発掘を求めたら、本当に出てきたわけです、五人。十代の女性ですが、軍属で、裁縫箱と下敷きと、名前も書かれてあった。

 しかし、DNA鑑定したら本人確認ができなかったといって、みすみす、七十年探し続けた遺骨が目の前にあるのに、遺骨として認められなかった、悔しい、DNA鑑定で本人として確認できなかったという紙切れ一枚で、本当に政府は責任を持っているのか、こういう怒りの声が出てくる。これは政治家に対しても起きるわけです。

 いろいろなケースがあります。しかし、教育委員会でさえ埋蔵文化財の調査はきちんとやる、その場合に遺骨が出てくるケースもある。私は、こんな作業等要領でやればできますじゃなくて、やはり一体一体、一柱一柱見つけることが困難であるからこそ、見つかったものは必ず遺族に返すという点では、まず公共事業の場合の遺骨の発見のルール化をもっと厳格にやるべきだと思いますが、大臣はどのようにお考えでしょうか。

 

○塩崎国務大臣

 遺骨収集の関係でNPO団体とか事業者にお願いをしている場合に、そういったところからの情報で、地下ごうとか埋葬地が存在するような可能性が高いという判断をされる場合には、土地区画整理事業の対象地域か否かにかかわらず、遺骨収集のための調査を行うということとしているわけでございまして、それはある意味、今の遺跡の調査にも相通ずるところがあろうかと思うわけでございます。

 いずれにしても、遺骨に関する情報がある場合には、速やかに収容できるよう、沖縄県と連携をして厚労省としても対応してまいりたいというふうに考えているところでございます。

 

○赤嶺委員

 収容された遺骨からDNA鑑定することも非常に困難でありますが、まず収集する場所で、激戦地であった場所で公共事業が今後行われる、そういうときの厳しいルール化、埋蔵文化財を調査するぐらいのルール化をしていく、こういうことを強く求めていきたいと思います。

 それで、きょう実は質問する予定にしていたら、きょうの朝日の朝刊に、DNA鑑定について、遺骨からだけでなく、遺族と見られる人にも呼びかけていくという記事が出ております。厚労省発の記事だと思いますが、太平洋戦争中の戦没者で身元不明の遺骨について、厚生労働省は部隊の記録などの資料から遺族と見られる人にDNA鑑定を促す方針を固めた、名簿が残っている沖縄を対象に今年度中に着手していくという。これも説明していただけますか。

 

○谷内政府参考人

 お答えいたします。

 戦没者遺骨のDNA鑑定でございますけれども、従来は、今から述べる三条件があるときに限ってやっておりました。その三条件と申しますのは、個体性のある遺骨から鑑定に有効なDNAが抽出できる場合で、しかも遺族から適切な検体が提供され、さらに三つ目としまして、記名等のある遺留品があってそれで関係遺族を推定できる場合にDNA鑑定をしていたところでございますけれども、戦後七十年を迎えまして、戦没者の御遺骨の身元特定に向けてさらなる取り組みを行っていく必要がありますことから、先ほどの三条件の三つ目でございます遺留品などがなくても、部隊記録等の資料によりまして地域を絞り込んである程度戦没者が特定できた場合には、関係すると思われる遺族に対しましてDNA鑑定の呼びかけを行って、御遺骨の身元を特定していきたいと思っておりまして、それを今検討中でございます。

 現在、厚生労働省が保有しております留守名簿とか戦史叢書、さらに沖縄県庁からもさまざまな資料を提供していただいております。
 したがいまして、まずは沖縄県で収容された戦没者の御遺骨について実施することを検討しておりますけれども、実施時期については今検討中でございまして、まだ未定でございます。

 

○赤嶺委員

 実施時期についても、これは官房長官も同趣旨の発言をしていますから、難しい仕事を言いつけられたと思わないで、積極的に取り組んでいただきたいと思うんです。

 遺骨は、沖縄においては、今新しい場所として次々発見されているのは終戦直後の収容所なんですね、米軍が管理しておりました。十六地区に約三十万人が収容所に収容されておりまして、劣悪な環境のもとで収容所で亡くなった方もたくさんおられます。

 この問題も課題がありますが、ちょっと絞って伺いますが、キャンプ・シュワブの基地が名護市にあります。そこには大浦崎収容所という収容所がありました。これは国会図書館にあった本ですが、名護市が編集した「語りつぐ戦争」という体験談が載っている本の中に、大浦崎の収容所ではマラリアで亡くなる人が毎日十何人もいた、遺体は一人一人埋葬しました、このように書かれているんです。

 先ほど、海外での文献の調査ということもありましたが、基地の中といえども、そこには収容所での遺骨が埋葬されているわけですから、これは戦没者遺骨と同じです。同様な取り扱いで、基地の中であっても遺骨収集の対象として政府はその資料を集め、そして、そういう根拠がはっきりしたら、基地の中であってもちゃんと調査をして遺骨を収容すべきだと思いますが、これはいかがですか。

 

○塩崎国務大臣

 今先生御指摘のキャンプ・シュワブ等米軍基地内の遺骨収集につきましては、まず関係者の証言などの遺骨情報の有無を沖縄県から伺うこととしたいと考えているところでございます。

 その上で、仮に情報がある場合には、外務省、防衛省などと連携をして、基地内の遺骨収集について米軍側に対して要望を行うことについて検討したいというふうに考えております。

 

○赤嶺委員

 つまり、政府として責任を持って収容すべき遺骨があれば、米軍基地の中であろうとこれはやらなきゃいけない、そういう認識だと思いますが、大臣、それでよろしいでしょうか。

 

○塩崎国務大臣

 おっしゃるとおりでございます。

 

○赤嶺委員

 終わります。

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