国会質問

質問日:2024年 6月 13日  第213国会  安全保障委員会

沖縄戦美化の句削除を 衆院安保委で赤嶺議員 陸自HPに掲載

 

 日本共産党の赤嶺政賢議員は13日の衆院安全保障委員会で、陸上自衛隊第15旅団がホームページにアジア・太平洋戦争末期の沖縄戦を指揮した旧日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を掲載していることについて、「沖縄戦を美化するもので防衛省・自衛隊の認識が問われる」と厳しく批判し、削除を求めました。

 木原稔防衛相は、15旅団の前身である臨時第1混成群の初代群長・桑江良逢氏が強い思いを持って牛島氏の辞世の句を部隊史に寄稿し、その寄稿を資料として掲載する意図だったとして削除を指示していません。

 赤嶺氏は「強い思いを持っていたとしても掲載するかは別問題だ。内容として適切かを組織として判断すべきではないか」とただしました。木原氏は「吟味した上で情報発信されるべきだ」とする一方、「各部隊において対応されるべきだ」と述べるにとどめました。

 赤嶺氏は、沖縄戦は国体護持を至上命令として本土決戦を遅らせるための捨て石作戦だったと指摘。首里城地下の司令部陥落を前に住民が避難する南部に撤退しながら持久戦を継続する方針を取ったため、兵士による壕(ごう)からの追い出しや食料略奪、殺害、強制集団死などで甚大な犠牲をもたらしたと強調しました。

 赤嶺氏は、こうした沖縄戦の性格や指導部の責任の記述もなく辞世の句が掲載されているとし「不適切であることは明らかだ」と指摘しました。木原氏は「さまざまな意見がある」などと答弁。赤嶺氏は「第32軍の沖縄戦での行動は意見の違いではない。沖縄戦の反省を抜きに肯定するのか」と追及し、削除を求めました。(しんぶん赤旗 2023年6月14日)

 

 

対馬丸と同じ過ちに

部隊展開の復路で住民避難

衆院安保委で赤嶺議員批判

 日本共産党の赤嶺政賢議員は13日の衆院安全保障委員会で、政府が安保3文書に基づき、南西諸島への自衛隊の部隊展開と住民避難を一体で進めようとしている問題を明らかにし批判しました。

 政府は昨年12月の関係閣僚会議資料で、自衛隊による空港・港湾の利用について、「状況に応じて必要な部隊を迅速に機動展開。併せて国民保護を実施」するとしています。

 赤嶺氏が「同一の船舶・航空機を使用するのか」とただしたのに対し、木原稔防衛相は「機動展開の復路において、自衛隊の輸送力を用いて住民を輸送し避難させる」と認めました。赤嶺氏は「住民が攻撃にさらされる危険は増大する」と追及。木原氏は「帰りは空になり合理的だ」と開き直りました。赤嶺氏は、疎開児童らを乗せ撃沈された対馬丸が沖縄への部隊輸送を担っていた事実を指摘し、「同じ過ちを繰り返すことになる」と警告しました。

 赤嶺氏は、米海兵隊の「遠征前進基地作戦」(EABO)に関し、住民避難の前に米軍が島々に展開する可能性を質問。防衛省の加野幸司防衛政策局長は「個別具体的に判断される」として否定しませんでした。赤嶺氏は「米軍が展開すれば攻撃対象になり、住民は取り残される」と政府の方針を批判しました。(しんぶん赤旗ホームページ)

質問の映像へのリンク

沖縄戦美化の句削除を(衆院安保委)

議事録

○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
 陸上自衛隊第一五旅団のホームページの問題について質問をします。
 沖縄県那覇市に司令部を置く第一五旅団が、沖縄戦を指揮した旧日本軍第三二軍の牛島満司令官の辞世の句をホームページに掲載していることが地元紙で報じられました。
 防衛大臣は、六月四日の参議院外交防衛委員会で、高良鉄美議員の質問に、一五旅団の前身である臨時第一混成群の初代群長が強い思いを持って辞世の句を部隊史に寄稿していたこと、その寄稿を歴史的事実を示す史料として掲載するのが部隊の意図だったとして、削除を指示する考えは示しませんでした。
 臨時第一混成群の初代群長というのは、那覇市出身で、後に沖縄県議も務めた桑江良逢氏であります。さきの大戦では南方のメレヨン島で中隊長を務めた旧軍の出身者です。
 大臣に伺いますが、桑江氏の辞世の句への強い思いというのは、具体的にどういうことですか。

○茂木政府参考人 お答え申し上げます。
 御指摘の、陸上自衛隊第一五旅団が御指摘の牛島司令官の辞世の句をホームページに掲載している経緯につきましては、第一五旅団から報告を受けた内容をこれまで御答弁申し上げてきているところでございます。
 すなわち、御指摘の記載につきましては、陸上自衛隊第一五旅団のホームページ内の第一五旅団沿革というページに掲載されているものでございますけれども、この記載は、第一五旅団の前身であります臨時第一混成群が昭和四十七年度に作成した臨時第一混成群史、部隊史でございますが、これを基にしたとの報告を受けておる、これは委員御指摘のとおりでございます。
 この臨時第一混成群史、部隊史につきまして申し上げれば、部隊発足の際の、沖縄県の発展や、沖縄県民の平和な明るい生活、福祉の向上に寄与したいとの決意を示しました部隊長の訓示を、沖縄県出身でございました当時の当該部隊長本人が寄稿したわけでございますけれども、その際に、当該部隊長が大事にしていた言葉であり、思い入れが強かった当該牛島司令官の辞世の句を添えて寄稿をしたとの経緯が部隊におきまして口頭で伝えられていると報告を受けているところでございます。
 これ以上の詳細につきましては、部隊史の編さんが昭和四十七年当時であるということ、相当昔に作成されたものでございますし、関係者への聞き取りも困難であることから、確認できないというところでございます。

○赤嶺委員 私、伺ったのは、強い思いを持って寄稿したとありますから、その強い思いの中身を聞いたわけですよ。経過を聞いたわけではありません。経過は既に私も承知しております。
 桑江氏は退官後に自著を出版しています。それによりますと、桑江氏が陸軍予科士官学校の生徒時代に校長を務めていたのが牛島氏で、牛島氏の長男とは同期生だったと述べています。また、一九四三年から四四年にかけて那覇市長を務めた義父の話を通じて、牛島司令官に尊敬の念を持っていたことが分かります。
 私は、桑江氏がどのような思いで辞世の句を寄稿したかは分かりません。しかし、部隊のホームページというのは個人的な思いを掲載する場ではありません。当時の群長が強い思いを持っていたとしても、それをそのまま掲載するかどうかは別問題であります。自衛隊のホームページに記載する内容として適切なのか、それが住民にどう受け止められているかという点を含めて、組織として別途判断すべきものです。
 その点は大臣も確認できると思いますが、いかがですか。

○木原国務大臣 まず、御指摘のそのホームページの記載につきましては、様々な御意見があるということは承知をしております。
 いかなる情報発信であれ、その趣旨が正しく伝わるように努める必要がございます。こうした情報発信を含めて、自衛隊の活動には地元の御理解と御協力を得ることが必要だと考えております。
 このような観点から、吟味した上で情報発信されるべきものと考えておりますが、御指摘のホームページの記載内容を含め、部隊の情報発信の在り方につきましては、日頃からやはり地元の方々と身近に接し、そして地域の実情に通じている各部隊においてしかるべき判断、対応をすべきものではないかなと考えます。
 特に、我々自衛隊は、全国各地に、陸海空、三百もの基地や駐屯地を抱えて、それぞれ駐屯地、基地には、歴史的な経緯やまた地域住民との関わりというのがございます。そういったものを、やはり、地域に根差した部隊あるいは基地司令、駐屯地司令などの判断によって情報発信は行われる、そういうふうに理解をしております。よろしいですか。

○赤嶺委員 沖縄戦の史実について地元の部隊が一番よく知っているんだからそれでいいんだという態度で本当にいいのかどうかですね。事は沖縄戦ですよ、このアジア太平洋戦争の中で悲惨な地上戦が行われた。
 沖縄戦は、侵略戦争の末期、国体護持を至上命題とし、本土決戦を遅らせるための捨て石作戦でした。軍官民共生共死の一体化の方針の下、住民を根こそぎ戦争に動員し、県民の四人に一人が犠牲になりました。
 首里城地下の司令部陥落を前にして、住民が避難する南部に撤退しながら、持久戦を継続する方針を取ったために、兵士によるごうからの追い出しや食料の略奪、殺害、強制集団死などが起こり、甚大な犠牲をもたらしました。さらに、牛島司令官は、自決を決断する段階に至ってもなお最後まで徹底抗戦するよう命じました。そのため戦死者は九月まで続出することになりました。
 ところが、ホームページにはこうした沖縄戦の性格や指導部の責任について何の記述もありません。ただ辞世の句が無批判に掲載されているわけです。
 大臣、自衛隊のホームページの内容として不適切であることは明らかではありませんか。

○木原国務大臣 政府としてといいますか、私自身もそうですが、沖縄戦について申し上げると、沖縄県では、さきの大戦、特に末期に県民を巻き込んだ凄惨な地上戦というものが行われて、軍民合わせて二十万人もの貴い命が失われております。特に、本島南部の一帯においては多くの住民の方々が犠牲になったものと認識をしております。今月の慰霊の日にも、私は参加を予定しております。
 防衛省としては、その沖縄の方々の筆舌に尽くし難い困難と癒えることのない深い悲しみ、これらを胸に刻みながら、戦争の惨禍というのは二度と繰り返してはならない、そういう考えの下で、そういった私どもの根本的な考え方が地域住民の方にしっかりと伝わるように、ホームページの内容というのもそういうふうにあるべきだというふうに思っております。

○赤嶺委員 今の、凄惨な地上戦、そして六月二十三日の沖縄慰霊の日には防衛大臣御自身も参列なさるという話であれば、このホームページの辞世の句というのはかなり大きな文字で書かれているんですね。本文があって、そして辞世の句だけが非常に大きな文字で。だから、こういうのを掲載するのであれば、沖縄の戦争がどういう戦争だったのか、当時の日本軍がどういう過ちを犯したのかを書かなければ、趣旨は正しく伝わらないと思います。それができないのであれば、辞世の句を掲載するようなことはやめるべきであります。
 今のままでは、当時の戦争を賛美しているようにしか見えません。掲載を続けるかどうかは、今の防衛省・自衛隊の認識が問われる問題であります。大臣の責任で、削除を指示すべきではありませんか。

○木原国務大臣 委員の御指摘のように、様々な御意見があるというふうには承知しております。
 今回の一五旅団のホームページの内容ですが、先ほど参考人からも答弁がありましたが、一五旅団の沿革、そういうページに記載されているものであります。一五旅団の前身、臨時第一混成群が昭和四十七年度に作成した臨時第一混成群史、そういう歴史的な事実、様々な背景に基づいた事実を基にして、そこを沿革という、ホームページの中に記載しているものであり、その沿革の部分にはあらゆることが、これは史実として書かれているものというふうに承知をしております。
 したがいまして、そういったことも含めて、今回、地域住民の皆様方には、私どもの活動というものが誤解のないように、情報発信を含めて、地元の御理解と協力を得るということが必要だというふうに思っております。

○赤嶺委員 防衛省の沖縄戦に対する認識とも違うんじゃないですか。牛島司令官は、自分が自決してもなお生き残って戦えという指示を出したんですよ。それで犠牲が多くなったんですよ。そういうのは様々な意見とは違いますよ。第三二軍のあの沖縄戦で取った行動について、これは意見の違いだと思いますか。意見の違いじゃないですよ。まさに史実は旧日本軍の住民を犠牲にした大きな過ち、それを繰り返してはならない。
 沿革史の中に書かれてあることだと言いますけれども、沿革の中のこの辞世の句というのは、一段と大きな文字で、一段と大きく書かれているんですよ。だから、非常に、そのときの司令官の、そのときの桑江さんのまさに個人的な強い思い、これを述べているわけですよ。それを部隊のホームページにいつまでも掲載して本当にいいんですか。そういう強い思いを持っている人の個人的な意識を出す、しかし、それは沖縄戦のあの多大な犠牲を出した責任者ですよ。
 第三二軍は、首里の司令部ごうから、わざわざ沖縄を捨て石にするために、県民がたくさん避難していた南部に撤退していったわけです。それを捨て石作戦と呼んでいるんです。
 だから、防衛省の認識からいっても、こういう司令官の辞世の句を自衛隊の部隊のホームページに掲載するというのは全く違うじゃないですか。様々な意見として片づけられる問題ではないじゃないですか。

○木原国務大臣 先ほど申し上げた臨時第一混成群史という、その沿革でありますけれども、これは、部隊発足の際の、沖縄県の発展、あるいは沖縄県民の平和な明るい生活、福祉の向上に寄与したい、そういった決意を示した訓示を沖縄県出身の当時の部隊長が寄稿する、その際に、その部隊長が大事にしていた言葉であり、また思い入れが強かった御指摘の辞世の句を添えて寄稿した、そういった経緯があるというふうに報告を受けているところであり、まさに、歴史的な経緯、そして時代背景、また地域住民との関わり、そしてあらゆるそういった様々な御意見、そういったことを勘案しながら、地元の部隊において適切に、このホームページというのは広報として示されるべきものであるというふうに考えております。

○赤嶺委員 地元の部隊において適切にどころか、沖縄を捨て石作戦として展開したあの沖縄の地上戦、それを肯定し、美化するようなものと。
 桑江さんは、明るい沖縄をつくるとか、沿革史の中に言っていますよ。しかし、その文章と一段と異なって、大きな文字で辞世の句が述べられているんですよ。これを削除したからといって沿革が曖昧になるようなことはないわけです。まさにこれは、強い思い入れで、個人的な思い入れで、大きな文字で書いているにすぎないわけですよ。それでも、様々な意見だ、これは事実だというようなことで、沖縄戦に対する反省の立場を抜きにしてこれを肯定するんですか、大臣は。

○木原国務大臣 先ほど申し上げましたように、私の考えとしましては、沖縄県での、大戦末期での県民を巻き込んだ地上戦というものは非常に凄惨なものであり、多くの住民の方々が犠牲になったこと、そういった県民の方々の筆舌に尽くし難い苦しみ、癒えることのない悲しみ、そういった戦争の惨禍は繰り返してはならない、それが私の考えであります。

○木原国務大臣 国民保護につきましては、国家安全保障戦略等においても記載しておりますが、政府全体として、円滑な避難に関する計画の速やかな策定、そして官民の輸送手段の確保、空港、港湾等の公共インフラの整備と利用調整、様々な種類の避難施設の確保等を行っていくというふうにされております。
 防衛省・自衛隊としては、こうした政府全体の取組にしっかりと協力をしつつ、国家防衛戦略、防衛力整備計画を踏まえながら、PFI船舶を含む民間の船舶、航空機に加えて、自衛隊の各種輸送アセットも利用した国民保護措置を計画的に行えるよう調整、協力してまいります。
 具体的な運用については事態の様相により一概には申し上げられませんが、例えば、今委員のお話があったような、機動展開の、展開する復路、帰りにおいて、自衛隊自身の輸送力及び自衛隊が活用する民間輸送力というものを用いて住民を輸送し、避難させる、そういったことが考えられるのではないかなと思っております。

○赤嶺委員 自衛隊も協力をしていくというお話でしたけれども、部隊の展開と住民避難を同じ船舶、航空機で行うことになれば、住民が攻撃にさらされる危険は増大するのではないかと思いますが、いかがですか。

○木原国務大臣 部隊を展開をして、だから帰りは空っぽになるわけですから、そこに民間輸送力あるいは自衛隊のアセットを活用して住民を輸送し、避難させるということは、これは合理的ではないかなと考えます。
 また、自衛隊が我が国への武力攻撃の排除という任務を実施するに当たりましては、武力攻撃より十分に先立って、事前に必要な部隊を迅速に機動展開させていくということが必要になってまいります。また、住民の避難についても、武力攻撃より十分に先立って迅速に実施することが何より重要であるというふうに考えます。
 このように、自衛隊の機動展開能力を住民の迅速な避難に必要な輸送手段として使用するということは、先ほども申し上げましたけれども、武力攻撃より十分に先立って行われるというものであることを想定しておりますので、今委員がおっしゃったような御指摘には当たらないというふうに考えています。

○赤嶺委員 武力攻撃事態より先立ってというお話でしたけれども、事態がどう推移するかは、これは予想し尽くすことはできないと思います。何の保証もありません。
 空っぽになった軍の輸送船を避難民に使うのは合理的だという大臣のお話がありました。
 一九四四年八月二十二日、疎開する学童らを乗せた対馬丸が米軍の潜水艦に撃沈をされました。当時、対馬丸は、軍に徴用され、中国戦線から沖縄に部隊を輸送する役割も果たしていました。
 大臣、これでは対馬丸と同じ過ちを繰り返すことになるのではありませんか。軍隊と民間を混在させないことがあの悲劇から酌み取るべき教訓だと思いますが、いかがですか。

○加野政府参考人 お答えを申し上げます。
 まず、委員御案内のとおり、事態の様相というのは千差万別でございますので、事態の様相によって一概には申し上げられないということでございまして、ただ、その一環として、例えば、機動展開の復路において、自衛隊自身の輸送力及び自衛隊が活用する民間輸送力を用いて住民を輸送し、避難させるといったことが考えられる、一つのやり方であるということで、資料に記載させていただいているということでございます。
 その上で、先ほどこちらも大臣から申し上げたところでございますけれども、私どもが国民保護のためあるいは武力攻撃の排除のためにしなければいけないのは、武力攻撃に先立って展開を行い、また、その復路の船を用いて国民の皆様を安全にお運びするということであるというふうに考えているところでございます。

○赤嶺委員 武力攻撃に先立って避難させると言いますけれども、対馬丸も先立って避難したわけですよ。ですから、軍と民が混在して、一体となって避難に使うというのは、沖縄戦での被害の歴史というか、そういうのに対して全く研究していない、あるいは、それを我が事として、あのときに起こった被害を我が事として考えていない。ただ口先だけで、武力攻撃予測事態が起こったら避難できるんですから大丈夫じゃないですかと。こんな説明で納得できないですよ、そんなの。やはり、沖縄戦に対しての、さっきのホームページの問題もそうですが、非常に私は、今の参考人の答弁は無知としか言いようのない、怒りを覚えます。
 米軍との関係も問題です。
 防衛省は、昨年一月の日米2プラス2の資料で、アメリカ海兵隊のEABOという作戦構想について、事態発生前から部隊を分散展開と説明しています。
 事態発生前とは具体的にどういう事態の発生前を指すんですか。日本政府が住民避難を指示する武力攻撃予測事態の認定を前に、米軍が部隊を展開させることもあり得るんですか。

○加野政府参考人 お答えを申し上げます。
 御指摘の記載でございますけれども、米海兵隊の機動展開前進基地作戦、EABO、その構想につきまして、相手方からの攻撃が発生する前に部隊を分散展開させて、対応体制を取るという旨を説明するものでございます。
 他方、こちらにつきましては、あくまでも作戦構想レベルの一般論として米側の考え方を説明したものということでございまして、特定の事態でございますとか具体的な状況を想定したものではございません。
 また、米軍の具体的な運用の内容につきましては、これは個別具体的な状況に応じて判断されるものでございますので、一概に申し上げることは難しいということでございます。

○赤嶺委員 外務大臣に確認をしますが、そもそも、米軍が部隊をいつ、どこに展開するかは、日米地位協定第五条で米軍に判断する権限が与えられていると思います。事態発生前の部隊の展開も地位協定に基づいて行われることになるのではないかと思いますが、いかがですか。

○上川国務大臣 今防衛省から説明があったとおりでございまして、御指摘のEABOにつきましては、あくまで作戦構想レベルの一般論として米側の考え方を説明したものでございます。特定の事態、また具体的な状況を想定したものではないと承知をしております。
 米側の具体的な運用の内容につきましては、個別具体的な状況に応じて判断されるものでございまして、一概に申し上げることについては困難でございますが、いずれにいたしましても、在日米軍のいかなる活動も日米安保条約及び日米地位協定に整合的な形で行われるものと考えております。

○赤嶺委員 米軍が沖縄の島々に展開していくと、そこが攻撃対象になります。空港や港湾も、まず真っ先に攻撃をされます。そういうことになれば、住民は避難どころか島々に取り残される。そういう結果、あの戦争のときの宮古島や石垣島の悲劇が繰り返されるということになるということを強く指摘して、質問を終わります。

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