国会質問

質問日:2022年 4月 7日  第208国会  憲法審査会

国民の人権 制限目的 「緊急事態事項」 赤嶺氏らが批判

衆院憲法審

 衆院憲法審査会は7日、「緊急事態条項」などをテーマに自由討議を行いました。日本共産党の赤嶺政賢議員は、「緊急事態条項」の目的が国会の権能を奪い、国民の基本的人権を制限することにあると指摘し、「内閣が国民の権利を大幅に制限し停止することを可能にするなど、絶対に認められない」と批判しました。

 自民党の新藤義孝議員は、国会議員の任期延長を憲法に規定することなどについて、これまでの議論で共通理解が得られたとして、「憲法改正を行う必要があるというのが意見の大勢だった」と一方的に主張しました。

 赤嶺氏は、国会議員の任期延長は国民の参政権を脅かし、国民の支持を失った政府が政権の維持のために利用する危険性があると指摘。任期延長について「(審査会で)意見をまとめるべきだ」との発言が相次いでいることについて、「容認できない」「越権行為も甚だしい」と強調し、「結局、改憲項目のすり合わせにつなげようとするもので、反対だ」と批判しました。

 立憲民主党の奥野総一郎議員は「緊急事態に関し、憲法を変えなければならない事実はない」と主張し、「結論ありきの議論は応じられない」と抗議しました。(しんぶん赤旗 2022年4月8日)

 

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国民の人権 制限目的(衆院憲法審)

議事録

○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
 この間の緊急事態条項に関する議論ではっきりしたことは、その目的が、国会の権能を奪い、国民の基本的人権を制限することにあるということです。この間の審査会では、いついかなるときも国会の機能を維持することが重要だとの理由で、緊急事態条項が必要だという発言が各党から相次ぎました。
 ところが、今行われている議論は、緊急時において国会が壊滅したときや国会による法律の制定を待ついとまがないときなどと仮定をして、最終的には内閣の緊急政令や財政処分を認めるべきだというものであります。緊急時を理由に内閣への権限の集中を認めれば、それがアリの一穴になり、権力の濫用につながるおそれがあるというのが歴史の教訓です。
 さらに、前回、新藤幹事は、緊急時には平時と違う人権制限の規定が必要だと述べられました。極めて重大な発言であります。二〇一二年の自民党改憲草案は、緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、国その他公の機関の指示に従わなければならないとしています。結局、この改憲案を推し進めたいということではありませんか。内閣が国民の権利を大幅に制限し、停止することを可能にするなど、絶対に認められません。
 国会議員の任期延長についても、国民の参政権を脅かすと同時に、国民の支持を失った政府が政権の維持、延命のために利用するという本質的な危険を持つものです。そもそも、衆議院の解散後、長期間にわたって選挙ができない場合など、想定外の上に想定外のことを仮定して議論すること自体が問題であります。
 戦後七十七年間、災害などで長期間にわたり国政選挙ができなかったという事態は一度もありませんでした。参議院の緊急集会が招集されたのも、吉田内閣の下で、いわゆるばかやろう解散などの解散権の濫用により行われた、一九五二年と五三年の総選挙のときの二回だけです。緊急集会を用いるということ自体が極めて異例のことであります。
 想定外を理由に憲法に例外を設ければ必ず濫用の危険があるというのは、多くの専門家の意見であります。極端な事例を出して議論をすると間違う危険が強いという、高橋参考人の指摘を思い起こすべきです。
 さらに、今、緊急時には解散後に身分を失った衆議院議員の地位を回復すべきだという議論まで出ております。国民から選ばれておらず、国民の代表でない者が、一体どうして権力を行使できるというのでしょうか。諸外国でも、そのような規定を置いている憲法はほとんどありません。自らの保身のための議論でしかなく、論外であります。
 前回、前々回の議論で、世界の憲法の多くは緊急事態条項を持っており、日本国憲法は制定時から時が止まっているという発言がありました。
 法制局の説明でもあったように、各国の憲法は、それぞれの歴史的、社会的な背景に基づいて作られています。例えばフランス憲法は、フランス革命時における周辺国からの攻撃やナチス・ドイツによる侵略という経験を反映しています。ドイツの基本法は、ヒトラーによる独裁を生み出したことへの反省と、諸国家の連合体としてつくられた連邦国家だということが背景にあるということでした。
 日本国憲法は、かつて我が国が侵略戦争に突き進み、二千万人以上のアジア諸国民と三百万人の日本国民を犠牲にしたことへの痛苦の反省から、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意する、これを出発点として制定されました。
 戦前、明治憲法下で、政府は、国会で廃案になった治安維持法の重罰化法案を緊急勅令を濫用して制定し、国民を弾圧しました。さらに、一九四一年には、緊迫した情勢下で国民を選挙に没頭させることは、不必要に議論を誘発し、挙国一致体制の整備に邁進しようとする決意に疑いを起こすという理由で、国会議員の任期を延長し、戦争翼賛体制がつくられたのであります。だからこそ、日本国憲法は緊急事態条項を廃し、憲法に国会議員の任期を明記したのです。この歴史は極めて重いものです。
 そもそも、日本国憲法の文字数が少ないことが権力統制機能が弱いと断定し、権力統制機能を回復させるために改憲が必要だという主張自体が暴論であります。その点でいえば、現行憲法にある権力統制の規定を守っていないのが今の政府と与党であります。そのことは、憲法五十三条に基づく臨時国会召集要求を無視してきたことに端的に表れています。
 五十三条は、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、臨時国会の召集を決定しなければならないと定めています。これは、少数者の発言権を保障し、行政監視機能を徹底させようという、まさに権力統制のための規定であります。これを無視してきたのが政府と与党です。自ら憲法を踏みにじっておきながら、その責任を憲法に押しつけ改憲を叫ぶなど、無責任極まりない姿勢であります。こうした議論は、改憲ありきで進めようというものにほかなりません。
 緊急事態条項や国会議員の任期の延長について審査会の意見をまとめるべきだ、さらには、憲法解釈を確定させるべきだという発言が相次いでいますが、容認できません。憲法五十六条の議論の際に申し上げたように、憲法審査会が個々の条文の解釈を、しかも多数決で確定しようというのは、越権行為も甚だしいと言わざるを得ません。結局、改憲項目のすり合わせにつなげようというものであり、反対であります。
 繰り返し述べてきたように、改憲原案の発議と審査を任務とする憲法審査会は動かすべきではないと指摘して、発言を終わります。

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