国会質問

質問日:2017年 6月 8日  第193国会  憲法審査会

国民主権は憲法の核心 赤嶺・大平氏が自由討論 衆院憲法審査会

 

 衆院憲法審査会は8日、日本国憲法第1章(天皇)をテーマに自由討議を行いました。

 日本共産党の赤嶺政賢議員は、第1章の核心は、前文とともに「国民主権の大原則を確立したことにある」と指摘。この原則は「明治憲法において天皇が主権者で統治権を総攬するという絶対主義的天皇制の下で侵略戦争に突き進み、アジア・太平洋地域で2千万人以上、国内で300万人を超える犠牲者を出したことへの反省にたったものだ」と述べました。「『軍国主義の駆逐』と『民主主義の復活強化』は戦後日本の出発点であり、そのため民主主義と平和主義を確立し、天皇主権から国民主権へと転換することが不可欠だった」とのべました。

 また、自民党改憲草案が「天皇は日本国の元首」と定めていることに関連して、同党の根本匠議員が「天皇を元首と位置づけることもありうる」と主張したのに対し、赤嶺議員は「天皇ハ国ノ元首」とした「明治憲法を復活させるつもりか」と問いかけて、憲法制定議会での議論に触れながら「国民主権の原則に相いれない。天皇の政治利用は許されない」と批判しました。

 民進党の岸本周平議員は「元首と規定すると誤解を招くおそれがある」と述べ、社民党の照屋寛徳議員は「天皇を神格化する」と批判しました。公明党の太田昭宏議員は「象徴天皇制というのは元首ではない」と否定しました。

 日本共産党の大平喜信議員は、国民主権に反する教育勅語について、「安倍政権のもとで肯定する動きがあることは重大だ」と指摘。教育勅語排除の国会決議など国会で何度も否定されてきた教育勅語が「どのような形であっても教育の中で使うことはできないことは明白だ」と強調し、「安倍政権が肯定しようとするのは、国民主権を制限しようとする姿勢の表れだ」と批判しました。(2017年6月9日 しんぶん赤旗)

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天皇と国民主権について意見表明(衆院憲法審査会)

議事録

○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
 日本国憲法は、前文で、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と述べています。そして、第一章第一条に「主権の存する日本国民」と明記しました。前文と一条で国民主権の大原則を確立し、天皇主権であった明治憲法から根本的に転換しました。
 明治憲法は、冒頭、第一条で、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定め、天皇に統治権を委ねました。四条は、天皇は国の元首であり、統治権を総攬すると定め、立法権や軍の統制権も天皇が有していました。まさに絶対主義的天皇制というべきものです。
 このもとで、日本は中国大陸に侵略し、十五年戦争へと突き進み、アジア太平洋地域の各地で二千万人以上、国内で三百万人を超える犠牲者を出しました。地上戦になった沖縄では、二十万人以上が犠牲になりました。天皇の名のもとに、子供から老人まで県民が根こそぎ動員されて、正規軍人より一般住民の犠牲者数がはるかに多かったのであります。天皇主権の軍国主義のもとで侵略戦争に突き進んだというのが実態です。
 軍国主義の敗北によって日本が受諾したポツダム宣言は、軍国主義を駆逐する、民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去するという二点を日本に求めました。これは、侵略戦争を起こした日本への国際社会の要求であり、日本の再出発の前提条件でした。そのために、日本国憲法の制定において、民主主義と平和主義を確立し、天皇主権から国民主権へと大きく転換することは不可欠でした。まさにこの点が、日本国民の日本国憲法の制定をめぐる焦点となったのであります。
 ところが、当時の日本政府は憲法改正は必要ないとの立場であり、さらに、国体護持に固執しました。毎日新聞がスクープした政府案は、天皇は君主という一条から始まり、内外から批判を浴びました。そのもとで、国民主権の原則を打ち出したマッカーサー草案が提示されましたが、国体護持派は、主権を有する国民とあった部分を日本国民至高の総意という文言にした憲法草案を国会に提出し、最後まで抵抗しました。しかし、国民主権への転換を迫る国際社会と日本国民の批判を受けて、最終的に、憲法制定議会において政府案を修正して、主権が国民に存することを宣言したのであります。
 こうして、前文と一条で国民主権を明記することになりました。したがって、一章の核心は、国民主権を確立したことにあります。
 この観点から第一章を見ると、日本国憲法下での天皇は象徴であり、その地位も、主権の存する日本国民の総意に基づくものとなっています。神聖にして侵すべからずとした明治憲法とは根本的に違います。国民が主権者であるからこそ、天皇の行為は十三の国事行為のみと限定し、国政に関する機能を有しないと明記しました。天皇の機能を非政治的で形式的、儀礼的なものにとどめて、天皇の政治関与を徹底的に排除したのであります。これはまさに、侵略戦争が天皇の名のもとによって進められた反省からきたものと言うべきです。
 しかし、歴代自民党政権のもとで、天皇の政治利用がたびたび国会でも問題になってきました。その端的な例が、第二次安倍政権のもとで行われた主権回復の日の式典です。
 安倍首相が政権復帰した翌年の二〇一三年、サンフランシスコ平和条約が発効した四月二十八日に、政府主催の主権回復を記念する式典を開催し、天皇の出席を求めました。
 一九五二年四月二十八日は、日本が形式的には独立国となったものの、同時に結ばれた日米安保条約によって、実質的にはアメリカの従属国の地位に縛りつけられた日にほかなりません。サンフランシスコ条約第三条で、沖縄、奄美、小笠原は、本土から切り離されてアメリカ占領下に置かれました。沖縄にとっては、まさに屈辱の日であります。
 四月二十八日を主権回復の日とすることに国民的合意が存在せず、このような式典に天皇の出席を求めることは、時の内閣の都合や政治判断で天皇を意のままに動かそうとする、天皇の政治利用にほかなりません。
 指摘しておきたいのは、この式典が、戦後レジームからの脱却を掲げる安倍政権のもとで行われたことです。戦後レジームからの脱却とは、戦後の民主化の中心である日本国憲法の平和、民主主義の原則を根底から覆そうとする政治的な意図を持ったものにほかなりません。
 もう一つ問題なのは、自民党改憲草案です。
 自民党の改憲草案は、第一条で、「天皇は、日本国の元首」と定めています。自民党は、明治憲法の規定を復活させようというのでしょうか。これが国民主権の原則と相入れないことは明白です。
 憲法制定議会において、金森担当大臣は次のように述べています。元首と申しまする言葉は、常識的に申しますれば、国の主権者であるという意味であります、だから、この元首という言葉を使いますと、天皇の地位を必要以上に権力的に考え得るおそれが十分あろうと思います。要するに、金森大臣は、天皇に元首という言葉を使うことは国民主権に反すると指摘しているのであります。
 さらに、自民党改憲草案は、「国事に関する行為のみ」の「のみ」を削り、「公的な行為を行う。」と規定しています。一体、自民党は、天皇を国政に関与させてどうしようというのでしょうか。こうした改憲を主権者である国民が求めていないことは明らかであります。
 最後に、国民主権と今の政治について述べます。
 安倍政権は、二年前、憲法違反の安保法制を、国民多数の反対を押し切って強行しました。この五月には、安倍首相は、二〇二〇年と期限を切って、九条改憲を提起し、改憲案の年内取りまとめを自民党に指示しています。一方、沖縄では、県民の圧倒的多数の民意を踏みにじり、住民の反対を押し切って、辺野古新基地建設を今まさに強行しているのであります。この政治のどこに国民主権の原則があるというのでしょうか。
 私は、こうした民意無視の安倍政治に抗して、九条の平和主義、国民主権、民主主義の諸原則を貫く闘いが重要だと表明しておきたいと思います。
 以上であります。

 ○大平委員 日本共産党の大平喜信です。
 明治憲法での絶対主義的天皇制のもとで、人権が抑圧され、侵略戦争へと突き進んだ反省から、日本国憲法は、前文とあわせて、第一章一条に国民主権を明記しています。
 私は、この国民主権との関係で、教育勅語の問題について意見を述べます。
 教育勅語は、天皇主権体制を根拠づけるものとして、天皇の家来である臣民が従うべき道徳律を説いています。そして、その内容の一つ一つが、天皇を中心とし、天皇に絶対随順する道であるとされました。
 戦前の教育では、この教育勅語を修身処世の大もととし、その奉読などが強制され、天皇のために命を投げ出すという思想がたたき込まれました。こうして、教育勅語は侵略戦争推進のてことされたのです。
 したがって、ポツダム宣言の受諾と日本国憲法の制定によって、軍国主義を駆逐し、民主主義と国民主権が確立されたもとで、臣民への命令としての戦争遂行のために用いられた教育勅語が排除されるべきであったことは当然のことでした。
 しかし、安倍政権のもとで、この国民主権に反する教育勅語を肯定する動きがあることは重大です。安倍政権は、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」などとする閣議決定を行い、稲田防衛大臣や菅官房長官は、教育勅語には今日でも通用する内容があるかのような発言をしました。さらに、義家文科副大臣は、朝礼での教育勅語の朗読も問題ないと答弁したのであります。
 私が指摘をしたいのは、こうした教育勅語の使用は戦後の国会での議論で何度も否定されてきたということです。
 一九四八年六月十九日、衆議院は教育勅語の排除に関する決議を、参議院は教育勅語等の失効確認に関する決議を採択しました。これにより、主権在君を根本理念とする教育勅語は、日本国憲法に反するものとして、教育から完全に排除することを宣言したのです。
 重要なことは、なぜ衆参両院でこのような決議が行われたのかということです。
 その背景にあるのは、戦後の文部大臣が、教育勅語は人間としての行く道をお示しになっている、教育勅語と教育基本法の間には矛盾と称すべきものはないと国会で答弁するなど、教育勅語の内容はいまだに有効であるかのような態度をとっていたということです。そして、そのもとで、学校教育においても教育勅語の朗読などその使用が続けられたのです。
 だからこそ、衆議院の本会議で、決議の提案者が趣旨弁明において、教育勅語の部分的内容についても、「勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができない」と述べたのであります。そして、この決議に対し、森戸辰男文部大臣も、「教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたいものであることは明らか」と発言したのです。
 このことは、戦後幾度も確認をされてきました。例えば、一九八三年に、ある私立高校が生徒に教育勅語を朗読させていたことが国会で問題となった際、当時の瀬戸山三男文部大臣は、「教育勅語を朗読しないこと、学校教育において使わないこと、また衆参両議院でもそういう趣旨のことを決議されております。でありますから、そういうことで今日まで指導してきておるわけでございます」「率直に言って遺憾なことであると思っております。」と述べ、県を通じて中止を指導したのであります。
 この過程を見れば、教育勅語は、侵略戦争を否定し、国民主権と民主主義を掲げた日本国憲法に反しており、どのような形であっても教育の中で使うことはできないということは明白であります。内容はよいという発言や、ましてや朗読も問題ないなど、到底認められるはずがありません。
 安倍政権が教育勅語を肯定しようとするのは、自民党改憲草案が天皇を元首としているように、国民主権を制限しようとする姿勢のあらわれだと言わなければなりません。
 さらに、九条改憲発言に見られるように、日本を戦争できる国へとつくりかえようとするものにほかならないということを指摘して、私の発言を終わります。

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