国会質問

質問日:2017年 2月 15日  第193国会  予算委員会

衆院予算委員会 地方公聴会開く

 

 2017年度予算案を審議している衆院予算委員会は2月15日、那覇市と名古屋市で地方公聴会を開きました。日本共産党の赤嶺政賢議員が那覇市で、本村伸子議員が名古屋市で質問に立ちました。

 

辺野古・普天間いらない 那覇 前泊氏基地建設で陳述

 那覇市では、前泊博盛沖縄国際大学教授が陳述し、米軍普天間基地(宜野湾市)の返還について「名護市辺野古に新基地を造らなければ、普天間問題は本当に解決できないのか、合理的説明がなされていない」と強調。1兆円ともいわれる国民の税金を使って他国の軍隊の基地を造る理由や、県知事選と国政選挙で示された反対の民意を無視した新基地建設の強行に対する「この国は民主主義なのか」という県民の疑問などに全く答えようとしない安倍政権の姿勢をただしました。

 

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 富川盛武県政策参与は、県経済に占める基地依存率が5%に低下する一方、基地返還跡地が大きな発展を遂げ、観光産業をはじめ経済効果が基地経済をはるかに上回っている事実を指摘。「かつての基地に依存しなければ沖縄はやっていけないというのは過去のものとなり、むしろ基地を縮小したほうが発展する」と力説しました。

 質疑で日本共産党の赤嶺政賢議員が普天間返還問題の原点について、1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけに「基地のない沖縄」を県民が求めたとのべたのに対し、前泊氏は「昨年も20歳女性が犠牲になり、何度同じような原点が繰り返されれば基地問題は解決されるのか」と発言。辺野古「移設」と普天間「固定化」の二者択一を迫る議論についての別の議員の質問に前泊氏は「普天間は沖縄経済にとってがんであり、がんをどこに移設するのか。地元はいらないと言っている」と語りました。(しんぶん赤旗 2017年2月16日)

議事録

○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
 きょうは、意見陳述人の皆さん、本当に御苦労さまです。大変貴重なお話を聞かせていただきました。
 そこで、最初に宜野湾の市長からお伺いをしたいんですが、きのう、安倍総理に対して、普天間基地の五年以内の運用停止の問題を質問いたしました。思いがけず、そういう沖縄県と首相との合意などもうどこかに吹っ飛んでしまったような答弁があって大変びっくりしたんですけれども、佐喜眞市長も、昨年の十二月に、新しいトランプ政権に対して五年以内の運用停止を求めてほしいと安倍首相に要請をしておられます。その五年以内の運用停止について、今の国の取り組み、御意見がありましたらぜひお願いしたいということ。
 加えて、今、普天間基地の大規模補修工事が行われております。五年以内の運用停止の期限は二〇一九年二月なんですが、大規模補修工事はその五年以内の運用停止の期限を過ぎても行われているという、ここには、国はもう五年以内の運用停止なんかどっかに吹っ飛んでしまっているんじゃないかという危惧を持っているわけですが、佐喜眞市長の御意見を伺いたいと思います。
    〔座長退席、菅原座長代理着席〕

○佐喜眞淳君 まず、五年以内の運用停止というのは、前県政と、そして今の政府の安倍政権を初め、私ども宜野湾市の三者で協議会、いわゆる普天間飛行場の負担軽減推進会議を結成し、五年以内の運用停止に向けて三者が協力し合って一歩一歩実現していくというのがまず原点だと私は思っております。
 その中で、私どものこの資料の中にも、十八ページに時系列的に書かれてございますけれども、一つ一つ言うことはちょっと差し控えますけれども、その一つとして、まず、KC130の空中給油機が、前県政のもと、十五機が岩国へ先行移駐されました。本来であれば、それを継続的に、沖縄県、政府、宜野湾市、一つ一つできることをやってもらいたい、その中で最終的には五年以内の運用停止というものが実現されると思うんです。
 私も、前県政のときにもそうですが、今の県政になっても、まず推進会議、作業部会というものを開催してもらえないと五年以内の運用停止はできませんよというようなことで、何度か県知事宛てに推進会議を開いてほしいと。あるいは、政府においても、沖縄県、宜野湾市も、やはり推進会議を開いてもらいたい、やってほしいということをお願いしたんですけれども、残念ながら、県政がかわって二年近く推進会議が開かれませんでした。先般の私の選挙が終わった後の、多分七月だったか、ちょっと日にちは忘れましたけれども、今の県政になって推進会議が開かれましたけれども、以来八カ月近くまた開かれていない状況でございます。
 できるのであれば、政府も沖縄県も同じ立ち位置の中で、やはり一番苦労というか犠牲を強いられている宜野湾市民や、あるいはその周辺地域の方々のために、例えば、夜間の飛行の軽減とか、あるいはオスプレイの訓練移転とか、そういうのを含めて、しっかりと前に向けて、五年以内の運用停止というものは危険性の除去がメーンだと思いますから、そういうことをぜひやっていただきたいというのが私の思いというか、宜野湾市民の総意だと思います。
 あともう一つは、普天間飛行場の改修工事の話でございますけれども、当然、二十数年間というもの改修工事をされなかった視点からすると、安全上必要なものは最低限やっても、それはいたし方ないかもしれませんけれども、しかしながら、固定化は絶対あってはならないという改修工事にしてもらいたいというのが私ども宜野湾市としての考え方の根底にございます。
 ただし、この二十一年間全然一向に進まない普天間飛行場の返還というものをやはりしっかりと前に進めるために、宜野湾市はもとより沖縄県、政府が一体となって、いかに普天間飛行場の返還を実現するかということをしっかりと議論を重ねない限り、間違ったメッセージはないんですけれども、やはり県民にしっかりとしたアピールというものが必要だと思いますし、そういう視点からすると、ぜひ、国会議員の先生方におかれましても、普天間飛行場の現状や、あるいは今言った改修工事の中身について、そして最終的には一日も早い返還というものがどういうふうな形で進んでいくかということを市民、県民にお示しできるように、やはり協力し合っていただきたいというのが、普天間飛行場を抱える宜野湾市長としての切なる思いでございます。

○赤嶺委員 どうもありがとうございました。
 次に、富川先生にお伺いいたします。
 私たちが米軍の直接占領下当時、基地経済からの脱却ということがスローガンでありました。当時の米軍の高等弁務官は、米軍基地は沖縄に金の卵を産むガチョウだ、沖縄県民は基地から離れられない、こう言われてまいりました。
 今、富川先生や石嶺会長の展望ある話を伺って、時代が大きく変わっているなということを実感しながらお話を伺っていたんですが、二十一世紀ビジョンのかなめになる考え方に、基地の存在が経済の阻害要因になっているのではないかという点があったと思います。その点と、先ほどのアジア経済戦略構想の展望について、つけ加えられるところがありましたら、よろしくお願いしたいと思います。
    〔菅原座長代理退席、座長着席〕

○富川盛武君 先ほども御説明申し上げましたが、復帰以前というのは、焦土と化して、復興を遂げるときに産業がほとんどなかったわけです。そこに米軍基地が五〇年代に建設されまして、雇用をする、消費をするという形で、その周辺に門前町よろしくゲートウエーというのができまして、昔のコザ市等々もそうですけれども、そういうふうに戦後の沖縄の社会経済を大きく規定していたことは間違いないと思います。ボリュームの面でも当初は非常に大きな存在で、やはり米軍の中で働いた方がはるかに給与がいいとか、そういう時代もかつてはありました。
 しかし、時代は大きく変わりまして、先ほど申し上げたように、特にこの五年から十年にかけてアジアの経済が相当勃興してきまして、その展開が沖縄にも来まして、御承知のように、観光客とか外資の投資等々がありまして、まさに沖縄が、かつてのアジアの中心としての役割が非常に浮上してまいっております。
 一方、日本経済も、先ほど申し上げたように、かつての勢いがない、人口減少に突入しまして、どうしても輸出ドライブ、海外展開ドライブがかかる中で展開してきております。そういう中で、一番如実にわかるのは、外資だけじゃなくて、果ては地方銀行まで沖縄に出店をする。これはもう、人口減少とかそういう形で、どうしても外に行きたいといういろいろな企業の思惑の証左だと思っております。そういう中で、状況が全く変わってきておりまして、観光客の数とか景気も見ても、沖縄がはるかに凌駕している。
 そういう中で、やはり、沖縄を取り巻く環境の変化によって沖縄の役割が大きく変わってきまして、むしろ安全保障論とか社会問題ということはちょっとさておき、経済の視点から考えても、もう基地の存在というのは縮小した方がはるかに沖縄の発展につながる。
 そして、ミクロの視点でいっても、例えば北谷町、私も北谷町の生まれですが、かつては海だったところに、美浜の返還地に大きな商業地ができて、今やもうアジアの観光客もたくさん来るような、活況を呈したところがあります。そこにおける地主さんの心境としても、以前は地料がないと困ったんだけれどもという話だったと思いますけれども、最近はむしろ、返還して、一定期間我慢しなきゃいかぬ期間がありますけれども、今の方が資産活用してはるかに収入も大きいと。
 私は、正直言って、これは本音の意味で、基地を返した方がもうかるということが現実化してきますと、政治論とかイデオロギーとかそういう議論はさておき、経済の視点からももう返した方がいいよという大きな波が来るのではないかというふうに思っています。
 正直申し上げて、沖縄にありますけれども、米国総領事館の知人がいまして、よく沖縄の経済を話してくれということで呼ばれるんですが、当時、さっき申し上げた日経ビジネスのコピーを持っていって、もうそういう時代に来ているので、国防省あたりでもよく研究した方がよろしいんじゃないですかという提言をしたぐらいで、やはり、沖縄の基地問題というのは、安全保障のことももちろん根幹にはありますけれども、経済の面からいろいろなところからの議論があって、これが、基地は要らないという論に経済のところも来ていると思います。
 まさに、実際に、もう経済効果で見ても先ほど示したとおりでして、先ほどおっしゃったように、五年先、十年先、沖縄振興計画が五年後どうなるかわかりませんけれども、その後の沖縄を展望するに当たっては、我々としても、基地の跡地利用、宜野湾市もそうだと思いますけれども、那覇空港の周辺も、先ほど申し上げたように、アジアのスケール、アジアのスピードに合わせるのであれば、早急にこの機能を拡張しなけりゃいけない。
 そうすると、ふと横を見ると自衛隊基地がある、そして那覇軍港がある。それはそれなりの論拠で、あるとは思うんですけれども、経済、産業の視点からいうともっと拡大しなきゃいけない。ですから、これは申しわけないけれどもよいてくださいと言うこともできるわけで、これが実際に我々が調べていって、かなり事実を積み上げてきて、そういう状況にあると思います。
 ですから、五年先を見たときには、やはり沖縄の米軍基地というのは縮小していただいて、沖縄の発展につながる。安全保障とか抑止力の議論というのはまた政治の場で、分散の方向でぜひ議論していただければと思います。

○赤嶺委員 ありがとうございました。
 石嶺会長にお伺いいたしますけれども、本当に今の沖縄の経済は好調だと。経済界の皆さんの頑張りがあったればこそと思っております。本当に御苦労さまでございます。
 そこで、先ほど会長のお話にも懸念事項としてありました、沖縄の中小企業、小規模事業者、圧倒的多数の事業者が沖縄経済を支えているんですが、なかなかそこに景況感が伝わっていない。一方で、非正規の雇用形態をまだまだ抱えている。その辺を、今の経済の好調を維持しながら中小企業や小規模事業者や働く人たちにまで行き渡るという点ではどんなふうになっていくのかなということ。
 もう一つ、先ほどの、那覇空港の滑走路を二本使うという場合に、確かにターミナルの問題はあると思うんです。しかし、構造的な問題として、いわば離発着が同時にできないのは嘉手納ラプコンの存在が非常に大きい、つまり同時離発着ができない阻害要因になっているということを伺ってきたんですが、そこら辺のお考えはどうなのか。
 この二点、ちょっとお願いします。

○石嶺伝一郎君 まず、中小企業、小規模企業の件でございますけれども、これは沖縄だけじゃなく全国的な傾向の中で、一つは人手不足という部分、それからもう一つは後継者の問題という二点があります。これは沖縄でも同じような形があります。
 ですから、人手不足については、例えば女性の活用、そのためには女性が仕事に出られるような、育児の問題、保育の問題も出てくるんですけれども。それからまた、年配の方々、定年が六十歳という、六十歳以降の定年した年配の方々、まだまだ元気で技術それから意欲もありますので、そういう人たちを活用する中で、人手不足という部分が解消できないかと考えています。
 それから、後継者につきましては、なかなか自分の息子も継いでくれない、だけれども企業は一定としてある、それを潰すと雇用の問題も出てくるというような状態があります。
 これに対してはやはり、商工会議所もそうなんですけれども、後継者育成のための相談窓口をつくって、それからまた後継者育成のために必要な手当てという部分をしっかりと相談できるような窓口が商工会議所あるいはまた商工会というところもございまして、そういったところを使っていきながら対応していく。そういうような形で、中小企業の皆さんが元気になるような手だてをしっかりやっていく。そういうことをすることによって産業全体が、基盤が持ち上がるんじゃないかと考えております。
 それから、先ほどの、滑走路が二本になったところ、嘉手納飛行場の存在の問題については、私、全くこの件については知見がございませんので、御勘弁をいただきたいと思います。
 以上でございます。

○赤嶺委員 ありがとうございました。
 あと五分を切ったところではありますが、最後に前泊先生にお伺いをいたします。
 先ほど、民進党の小川先生からも一九九五年のお話がありました。一九九五年の少女暴行事件が今の普天間、辺野古の問題に直結していると思うんですね。原点は少女暴行事件であり、そして、そのときに県民が求めたのは、やはり基地のない沖縄をつくりたい、当時は基地の整理縮小というスローガンでありましたが、自民党を含めて県民大会を開きました。それがいつの間にか、新しい基地をつくる形で普天間問題を解決しようという形にすりかわっているわけですね。
 この辺の問題について、一体沖縄の基地問題の原点とは何か。そして、安保条約賛成の翁長知事が安保条約反対の私たちと考えを同じく、辺野古だけはつくらせない、辺野古はつくらせないという意思を持っていらっしゃる。私は、もちろん普天間の基地も無条件撤去すべきだと考えておりますが、その辺の沖縄の基地問題の原点について、前泊先生の御意見をお願いします。

○前泊博盛君 ありがとうございます。
 歴史的に見ると、沖縄に基地がなぜ置かれたかということですけれども、やはり、大戦のときに本土攻撃のための拠点として置かれた、それが戦後もそのまま置かれ続けていて、海兵隊について言えば、本土でも反対運動に遭って行く場所を失って沖縄に逃げてきた、あるいは移動されてきたという経緯があると思います。
 沖縄に基地があるべき理由、今本当になければならない理由を誰が説明できるのかというようなことで、疑問を持っています。
 そして、少女暴行事件に端を発して、今回の基地問題の原点というものを言っていますけれども、昨年も同じ、二十の女性が暴行されて殺されるという事件が起こっています。何度同じような原点を繰り返せばこの基地問題が解決できるのか。
 こういう意味では、やはり、基地が持つ安全保障上の効果と実際に日常において与える被害の比較というものが、本土と沖縄の間で非常に大きな温度差として存在しているような気がします。
 結局は、自分たちが嫌だから他人に押しつけるというようなことがあるのかもしれません。そういうところで、必要性を認めながら、その負担については自分たちは回避する、そして、沖縄に押しつけて、今沖縄にあればそれでもういいというような、本来考えなければならない問題を思考停止してしまっているような感じがします。難しい問題は先送りをするか、なかったことにするという、これが日本のおきてだとしたら、この問題についてはいつまでも解決できないような気がします。
 トランプ政権にかわって、新しい安全保障の体制を考えるという意味では、もう一度、日米安保についても、そして新しい安全保障の構築についても、棚卸しをした上で再構築を図る絶好の機会に来ていると思います。沖縄の負担軽減というよりも日本全体の安全保障の問題として考え直して、そして今、新たな政策を各党が提案する時期を迎えているような気がします。

○赤嶺委員 終わります。

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