選挙は、県知事選から県民投票、そして補選との一連の流れのなかでおこなわれました。しかも、四つの選挙とも争点は名護市辺野古への米軍新基地建設だったのです。私の選挙では、四度県民の民意が示されました。知事選、県民投票、補選と、三度民意を示しても、まだ状況が変わらない、むしろ、より強硬になっている。それに対し、さらに民意をぶつけなければいけないというのが私の選挙でした。
だからこそ、民意を無視することがどう問題なのかということも問われました。この点は日本政府の対外関係にまで影響します。現在、世界を見ると、さまざまな国で、民主主義の問題が大きく問われる状況にあります。そうしたなかで、日本という国は、民主主義という面において、十分に成熟していないのではないかという目が世界から向けられてくるからです。
「沖縄から日本がよく見える」と言われます。そこにはいろいろな意味がありますが、沖縄の状況をみれば、日本の状況がわかるということがその一つです。いま沖縄でおこなわれているような、日本政府の強圧的な対応が、世界の国々から、日本という国はそういうことをやる国なのだと見えるということなのです。つまり、いま辺野古の問題は、新基地建設の問題、日本の防衛の問題、米軍基地の問題ということを超えて、人類の根本原理としての民主主義とは何なのか、日本の民主主義はどうなっているのかを問いかけている。そこに国際的な目は注がれているのではないかと思います。
この間も、国連では気候行動サミットが開かれていましたが、環境問題などへの全世界的、人類的な対応に関心がもたれています。また、いま香港でおこっていることなどを見ても、民主主義というものが人類的な基本の形であることが強く意識されるようになっています。沖縄の辺野古の問題も、同じように十分世界的で、普遍的な問題として考えることができるのではないでしょうか。人類社会のあり方の根本的な問題というところで私は捉えています。だからこそ私は、参議院選挙のなかでは、辺野古の問題を憲法の原理から見てどう考えるのかということを訴えました。憲法に込められた人類的、普遍的な原理から見てどうなのか。「それは、民意を無視するものではないか」「民意を無視するということが民主主義社会のなかでは成り立たないのではないか」―ここに大きな問題の一つがあるのです。
(『前衛』2019年12月号から引用)