【出来事】緑ヶ丘保育園(宜野湾市)の屋根に、米軍普天間基地所属のCH53E大型輸送ヘリが部品を落下させる。

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子どもたちの平和な空を返して

沖縄県宜野湾市 緑ヶ丘保育園「チーム緑ヶ丘1207」

 

2017年12月7日午前10時20分ごろ、沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園で「ドーン」という音がしました。保育園は、米軍普天間飛行場から約300メートルに位置し、オスプレイやヘリが通過していく下にあります。屋根の上に落ちたのは、米海兵隊大型輸送ヘリCH53Eの部品でした。もし園庭で遊んでいた子どもたちに落ちていたら…。抗議運動なんかやったことがなかったお母さんたちが「子どもたちに雨以外落ちてこない空を返して」と声を上げ続けています。

 

神谷武宏さん…緑ヶ丘保育園園長

宮城智子さん…「チーム緑ヶ丘1207」会長

知念有希子さん…同・副会長

 

知念:(ド・ド・ド・ド・ド…。緑ヶ丘保育園の頭上に低く、重い音が響く)おかまいなしなんですね。昨日、翁長県知事がなくなったばかりだというのに。

 

神谷:普天間飛行場からオスプレイが飛んでいく音です。戻って来る時はヘリモードなのでもっと大きい音がします。市街地上空でのヘリモード飛行は禁止されていますが、まったく守られていません。

 

宮城:最近、オスプレイやCH53が夜の11時ごろまで飛んでいますね。

 

神谷:夜10時以降は飛行禁止のはずなのに平気で飛んでいます。私は2度もオスプレイが落ちる夢を見ました。でもまさか本当に空から物が落下してくるとは思いませんでした。

 

―事故当時、どんな状況でしたか。

神谷:牧師室にいた私のところに保育士さんが来て「上から何か落ちてきました!」と。見に行くと、1歳児クラスの屋根の上に透明でガラスのような筒状のものが落ちていました。写真を撮ろうと近づくと、熱と油の臭いを感じ、のちにそれは、CH53Eのストロンチウム90のカバーで、高さ9.5センチ、重さ213グラムであったことがわかりました。もしあと50センチずれていたら、園庭で遊んでいた2,3歳児の上に落ちていたかもしれない。ゾッとします。

 

宮城:私は、知念さんからのラインで事故のことを知りました。NHKのDボタンを押すと宜野湾市の緑ヶ丘保育園に落下物、と。緑ヶ丘保育園と書いてあるのに、それがうちの園だと気づくのに時間がかかりました。お昼前、給食のお手伝いをしている先生からラインで「今、お昼寝前の絵本の読み聞かせ時間。いつもと同じだよ、変わらないよ。子どもたち元気だよ」と知らされて、ああ、大丈夫なんだ、と安心しました。

 

知念:私はその日、仕事が休みで、家でテレビを見ていたんです。そしたら事故の速報が…。すぐに保護者にラインで知らせました。ほぼ同時に園からもメールがきました。夕方、迎えに行くと、園には規制線がはられ、メディアの人がいっぱいでした。でも、中に入ると子どもたちは普段通り遊んでいて、思わず泣いてしまいました。逆に「お母さん、何で泣いているの?」と聞かれて。子どもを守ってくれた先生方にはありがとうという思いでいっぱいです。

 

神谷:落下物がCH53Eのストロンチウム90のカバーだとわかった時、衝撃を受けました。放射線が付着し、放出していたかもしれないし、園庭が汚染されている可能性があったからです。すぐに専門家に相談し、知り合いに放射線を測ってもらいました。結果、通常の値であることがわかり安心しました。その時、屋根にできたへこみが見つかったのです。

 

知念:最初はグループラインで「無事でよかったね」と言い合っていたのですが、だんだんそれが怒りに変わってきて、「許せないよね」って。

 

宮城:そう、そう。「抗議、抗議!」「嘆願書を出そう」ってなりました。でも嘆願書って何だろう?って(笑)。よくわからないけど、やろー!という感じでした。誰一人としてうやむやにしようとはしなかった。

 

知念:翌日、緊急で父母会を開き、署名を集めようということになったんです。その時は、県や沖縄防衛局に言えば、すぐに保育園の上空は飛行禁止になると思っていました。

 

宮城:そもそも飛行ルートというものがあることさえ知らなかった。だから、保育園の上は飛行ルート外なの?じゃあもう飛ばないはずだね、って希望が見えたりして。

 

保育園の父母会は、12月10日に嘆願書提出を決議。嘆願書は「①事故の原因究明、および再発防止」「②原因究明までの飛行機禁止」「③普天間基地に離発着する米軍ヘリの保育園上空の飛行禁止」の3つ。12月11日から署名活動も開始。沖縄県知事、県議会、宜野湾市役所、宜野湾市議会、沖縄防衛局のほか、内閣宛てに嘆願書を提出。内閣官房、防衛省などへの要請行動もおこない、4月、「チーム緑ヶ丘1207」を結成しました。

 

宮城:園に落ちてから6日後の12月13日、今度は上の子が通っていた普天間第二小学校のグラウンドに米軍ヘリの窓枠が落ちる事故が起きました。まさかまた?デジャブのような感じに。その日、うちの子は体調が悪くて休んでいたのですが、子どもたちの状況もわからなくて。県に嘆願書を出した翌日のことなのに。悔しさや怒り、悲しさなど、いろんな思いがこみ上げてきて涙が出ました。

 

知念:翌日、沖縄防衛局に行くと、米軍の言うことは信じます、と。飛行中に園の上に落としたものではないと言っているのを信じる、と。米軍のことは信じても、私たちのことは信じないの?あまりに落胆してしまい、帰り道は口もきけないほどでした。じゃあ一体、私たちの子どもは誰に守ってもらえばいいの?年が明けてから2回上京し、要請行動をおこないましたが、防衛省に行ってもどこに行っても「遺憾に思います」「調査中」「回答を待っています」と繰り返すばかり。東京行けばいい返事がもらえると思っていたのにまったく同じでした。事故後も米軍機は飛び続け、普天間第二小学校に窓枠を落とし、今年1月には普天間基地所属のAH1Zヘリが渡名喜村に不時着しました。2月にはオスプレイのエンジンカバーが伊計島の海に落下する事故も…。抗議しても、抗議しても、びっくりするぐらい変わらない。大人として恥ずかしくないのか、と思います。

 

神谷:当初、米軍は伊計島の沖に落ちた事故を隠蔽しようとしたんです。でも住民に発見されてしまったから認めざるをえなかった。沖縄防衛局は、米軍ヘリの飛行ルートを2016年4月から2017年3月まで毎月、公表していますが、これを見ると、保育園や普天間第二小学校の上を何度も飛んでいることがわかります。しかし、保育園も普天間第二小学校も米軍が公表している飛行ルートではないのです。

 

宮城:一つ間違えたら大惨事だったのに、国の偉い人たちは一度も園に来ません。安倍首相はなぜ、来ないのでしょう。私たちより米軍が大事なのでしょうか。事故が起きるまで、政治のことにほとんど関心がなかった私ですが、今はすごく理不尽さや日本とアメリカの不平等さを感じています、日本政府はアメリカの言いなりになって沖縄にこんなひどい扱いをしているということがよくわかりました。

 

知念:私は宜野湾市の海岸近くで育ったので、生まれた時から米軍基地はありました。爆音がすごくて、爆音のたびに窓がガタガタと揺れました。夜、上の方を見上げると空がオレンジ色!なぜ沖縄の夜空はオレンジ色なんだろうと思いました。でも、沖縄に米軍基地があるのは当たり前で、不思議に思ったことはありません。それはほかのお母さんたちも同じだと思います。運動を始め、現実が見えてくる中でおかしいと気づいた、「魔法が解けた」のだと思います。

 

神谷:お見舞いや激励だけでなく、誹謗中傷の電話もありました。多い日は園への抗議の電話が20本くらいかかってきました。

 

知念:「自作自演」とも…。抗議の電話がかかってくると、子どもたちのお昼寝を邪魔しないために先生たちは子機を持って外に出るんです。それなのに「自作自演」だなんて…。

 

宮城:宜野湾市役所前で署名活動していた時、「父兄がやったんでしょ?」と言われました。

 

知念:「(基地が)辺野古に行ってほしいんでしょ?」と言う人もいますが、私たちはそんなこと思ってもいない。ただ園の上を飛ばないでほしいとお願いしているだけなんです。ほかにも「署名したいけど、家族に基地従業員がいるから」「書いても変わらないでしょ?」と言われたり。基地問題になるとどうしても沖縄の人は分断されてしまうんです。

 

神谷:「お前たちが(基地周辺に)好き好んで住んでいるんだろう」という抗議電話もありました。普天間基地がなぜできたのか、まったく知らないのです。普天間基地はもともとあったのではなく、戦時中、米軍が民家や畑をつぶして勝手につくったもの。滑走路のあるところには、琉球松の美しい並木町があったんです。戦後、宜野湾の人たちが戻ってきたら、家や畑が滑走路になっていて、住むところもなかった。そこで知人を頼って住まいを作って戦後の町ができた。私たちがここに住むのは、ここが故郷だからですよ。

 

―全国から励ましの声もたくさんきたそうですね。

 

知念:全国から署名用紙や手紙が郵送されてきました。米軍基地のない自治体に住む人からは、「自分にも同じ年頃の子どもがいます。活動ニュースを読んだ時、涙が止まりませんでした」と書かれた手紙もきたし、私たちの代わりに署名を集めてくれた人もいました。私たちのことを知らない人たちが私たちに共感してくれる。すごく励みになりました。

 

宮城:市内で署名活動をしていると、しばらく会っていなかった人から、「テレビで見てるよ、応援してるよ」と声をかけられたり、カンパをくれる人もいました。署名は全部で約14万筆も集まりました。すごくうれしいです。

 

神谷:たった1週間足らずで落下物の事故が続けて起きる。普天間第二小学校では事故後、子どもたちが米軍機落下物を想定した避難訓練をしました。グラウンド使用を再開してからは600回以上避難しています。そういうことが今の日本の小学校で起きているのです。沖縄の基地問題は沖縄の問題ではなく、日本の問題です。ヤマトのみなさんが自分の問題として考えなければ解決しない問題です。今、日本政府は、「中国の脅威」を口実に、宮古島と八重山諸島に陸上自衛隊を配備しようとしています。「抑止力」という言葉を使うのであれば、近隣諸国と仲良くすることこそ最大の「抑止力」ではないでしょうか。

 

―運動を継続するにはいろんなご苦労もあると思いますが?

 

知念:しんどいね、という声は出ます。でも、やっぱりこの保育園が好きだから、ここを守りたいから、何の心配もなく子どもたちを遊ばせたいという気持ちの方が優る、だから頑張れるんだと思います。私たちが頑張って日本政府が米軍にモノを言えるようになれば、米軍基地のあるほかの町で同じような事件は起きないと思うから。

 

宮城:普天間第二小学校の保護者、先生、園の保護者で「子どものお空を守る会」を立ち上げました。地域の特に子どもを持つお父さんお母さんに、今の現状は当たり前じゃない、声をあげていいんだよ、と知らせたくて。米軍基地をめぐってはいろんな考えの人がいます。でも、“子どもの命がかかっているんだよ”って話していけば、一致できるんじゃないかな。

 

知念:娘が大人になった時、同じ思いはさせたくはありません。もうあの日より前には戻れません。

 

(『女性のひろば』2018年10月号より引用)

 

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嘆願書

 

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