「沖縄県内では戦後、日米両政府に押し付けられた基地を挟んで保守と革新に分かれ、『生活と経済』対『平和と尊厳』の激しい二極闘争をずっと繰り広げてきました。
私は保守の政治家一家に育ったため、基地をめぐり親戚や隣近所がいがみ合う様子を子どものころから見せつけられてきました。小学生の時将来政治家になることを決意して成長するに従い、『沖縄県の心が二つに割れていたのでは沖縄問題は何の解決もしない。いつか県民の心を一つにしたい』との思いが強くなり、その志はぶれることなく、ひたすら政治の道を歩んできました。」
「戦後70年、沖縄一県に基地を押し付け、その体制を今後も維持しようとしている状況はもはや許されません。
私は政治家生命を賭けて知事選に臨み、『辺野古に基地をつくらせない』という一点で保守と革新の両陣営を一つに結び付け、『イデオロギーよりアイデンティティ』『オール沖縄』を訴えて、県民の大きな支持を得ました。
沖縄では初めての出来事であり、歴史の新しい1ページが開かれたのです。
『でも沖縄は基地で食べているのではないか。』そんな声は根強くあります。確かに太平洋戦争の激しい地上戦で壊滅状態となった沖縄は戦後、基地経済に依存せざるを得ない時代がありました。
しかし今、沖縄には成長著しいアジア経済のダイナミズムが押し寄せています。沖縄は国際物流、情報通信産業、国際観光リゾートの分野が爆発的な発展を見せ、アジア経済の中心地になろうとしています。
基地関連収入が沖縄の県経済に占める割合は、戦後の50%から5%を切るようになり、普天間基地だけでも返還された場合の直接経済効果を試算すると、現在の32倍に跳ね上がります。
今や『基地は沖縄経済の最大の阻害要因』となっているのです。
激変する世界情勢の中で、沖縄は『誇りある豊かさ』を持てるようになりました。そして、沖縄が初めて経済的に日本に貢献できるようになったのです。
経済発展の前提には地域の平和があることは言うまでもありません。
離島である沖縄は、海で四方が閉ざされているのではなく、海で諸国とつながっているという世界観を持っています。そして、沖縄戦という未曽有の体験を経て、平和に対する絶対的な願いを持ち続けています。
基地問題の解決は、日本が平和を構築していくという決意表明となるでしょう。沖縄は米軍基地によって世界の安定に貢献するのではなく、『平和の緩衝地帯』として貢献したいと考えています。
そのとき、沖縄のソフトパワーが大いなる力を発揮すると思います。美しく豊かな自然、世界との交易と被支配の歴史、『チャンプルー文化』と呼ばれる各国の文物が入り混じった文化、庶民に受け継がれてきた歌や三線、踊りなどの芸能、『いちゃりばちょーでー』(一度会えば皆兄弟)という精神。
沖縄が日本とアジア、日本と世界の架け橋となる役割を存分に発揮していく――。
辺野古新基地建設反対に託して、そんな時代が来ることを私は夢見ています。そのためにも、私たちの民意をぜひ形にしなければなりません。戦後70年という節目を迎えた日本は、その力量を試されています。」
(角川書店「戦う民意」沖縄県知事翁長雄志著より引用)