活動報告

平和の誓い新たに 赤嶺衆院議員、祈りの訪問

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 沖縄戦から80年の「慰霊の日」を迎えた23日、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員は、党沖縄県議らとともに糸満市各地の追悼碑や戦跡を訪れ、平和を守り抜く決意を新たにしました。

 訪問団には、赤嶺議員のほか、渡久地修県議、比嘉みずき県議、玉城ノブ子元県議が参加。はじめに、「鉄血勤皇隊」として動員され命を落とした学徒らを追悼する「沖縄師範健児の塔」に献花、祈りをささげました。

 つづいて平和祈念公園、「平和の礎(いしじ)」を訪問し、沖縄戦で犠牲となった親族の名前が刻まれた碑へ献花。また、沖縄県平和祈念資料館を見学、住民に甚大な犠牲を強いた沖縄戦の歴史的事実を改めて確認しました。

 自公政権が進める糸満市を含む沖縄本島南部の戦没者遺骨が残る土砂を辺野古の米軍基地建設のために使う計画に反対するため、平和祈念公園内でハンガーストライキを行う沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんを激励。具志堅さんは要人警護を名目とする警察の「平和の礎」内の供え物への強引な捜索を止めるため行動しており、赤嶺議員は「具志堅さんの力で平穏な祈りの場が守られています」と激励しました。

 その後、沖縄戦後に県内で初めて建てられた慰霊塔「魂魄(こんぱく)の塔」に祈りをささげ、「ひめゆりの塔」や「白梅の塔」を訪れ、犠牲となった女学生たちを追悼しました。(しんぶん赤旗 2025年6月24日)

 

 

世界恒久平和へ行動

沖縄「慰霊の日」 デニー知事が平和宣言

 沖縄県は23日、住民を巻き込む凄惨(せいさん)な地上戦により20万人以上が犠牲になった沖縄戦で、組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を迎え、戦後80年の節目となりました。県と県議会の主催による沖縄全戦没者追悼式が同県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で開かれ、4000人が参列しました。

 玉城デニー知事は平和宣言を読み上げ、心の傷を抱えながら後世に伝えようとした戦争体験者の証言と研究者の努力で沖縄戦の実相と教訓は受け継がれてきたと指摘。「これこそが県民の平和を希求するこころの原点」と語り、世代を超え守り続けていく必要性を訴えました。

 琉球処分、沖縄戦、米軍統治下で沖縄が歩んだ苦難の歴史にふれながら、いまも広大な米軍基地が集中し、米兵らによる事件・事故や名護市辺野古の米軍新基地建設など、過重な基地負担が続いていることに言及。「不条理な現状を打破するため、世界の恒久平和のため、行動していきたい」と語り、(1)国際平和研究機構の創設(2)戦争遺跡群の保存・活用、将来的な世界遺産の登録(3)核兵器廃絶の推進―に取り組む決意を示しました。

 県遺族連合会の我部政寿会長は「追悼のことば」を述べ、豊見城市立伊良波小学校6年の城間一歩輝(いぶき)さんが「平和の詩」を朗読しました。

 国連と、ノーベル平和賞受賞の日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表として、中満泉事務次長(軍縮担当上級代表)、田中重光代表委員が招かれ、初めて参列。中満次長は「今こそ戦争への道ではなく平和と共存への道を、核兵器のない世界への道を」とあいさつしました。

 石破茂首相や衆参両院議長、最高裁長官の三権の長が30年ぶりにそろって参列し、石破首相は沖縄戦を念頭に、かつて国民保護法制を整備したと強弁。民間人を戦争に巻き込ませないためなどとして、先島諸島で国が軍備増強と並行しながら進める、戦場化が前提の住民避難計画を正当化し、戦争体験者らの「沖縄を二度と戦場にさせないで」との心からの願いを踏みにじる発言をしました。

 日本共産党から赤嶺政賢衆院議員らが参列、献花しました。

 

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