「『オール沖縄』堅守」「赤嶺さん圧巻の9選」(沖縄タイムス)と衆院選投開票の翌10月28日の沖縄の地元紙には、こんな大見出しが躍りました。
●自公総がかり
自民・公明が過半数割れとなった衆院選・沖縄1区で「オール沖縄」の代表、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員が自民党候補らを大激戦の末に破り、小選挙区で4期連続の勝利を飾ったことを伝える記事でした。自公政権が総がかりで企業・団体動員を徹底し赤嶺氏の追い落としを狙ってきたのに対し、オール沖縄に集う人たちが「宝の議席」を失うわけにはいかないと必死で取り組みを強めました。まさに、団結の力で「堅守」した画期的勝利でした。
「オール沖縄の団結は揺るがないぞと、これが一番の勝因だと思います」。27日午後11時20分すぎに当確の報が流れた直後、那覇市の事務所に集まった人たちが歓喜を爆発させた余韻も冷めやらぬ中、赤嶺氏は記者団の質問にこう答えました。
自民公認(公明推薦)の国場(こくば)幸之助氏ら4氏での争いになった沖縄1区。国場氏は国交副大臣として、名護市辺野古の米軍新基地建設強行に伴う「代執行」を支えた人物です。
前回まで3回連続で赤嶺氏に敗れ、比例復活に甘んじてきた国場氏は今回こそはと必勝を期し、「小選挙区で1票差でも勝つ」などと呼号。新基地建設工事を受注する県内最大手の国場組を陣営に引き入れたなどとして、関係者は「盤石の態勢」を整えたと豪語していました。
●締め付け徹底
選挙終盤には、岸田文雄前首相もテコ入れに訪れ、沖縄の経済団体や企業の関係者を集めて国場氏への支援を要請。政府丸抱えの激しい企業・団体締め付けが徹底して展開されたほか、2年前に那覇市政をオール沖縄から奪取した知念覚市長も国場氏勝利のために奔走しました。
本土マスコミの評価も分かれる大激戦の様相を呈しましたが、ふたを開けてみると赤嶺氏は前回を上回る7800票の大差を国場氏につけて勝利。投票率が前回から5ポイント以上減る中でも票差を広げたことは、オール沖縄の団結の力が相手の攻勢をはね返したことを物語っています。
「新基地反対」堅持した成果
党派を超えたオール沖縄の団結は、立憲民主をはじめ各党所属の地方議員が街頭で自党ののぼりを携えて赤嶺氏勝利をアピールするなど、沖縄ならではの選挙の光景に象徴されるものです。新基地建設ノーの運動に参加する無党派の人たちが中心となって連日、赤嶺氏必勝を訴えるスタンディングも各地で取り組まれました。
今回、公設掲示板用の赤嶺氏のポスターには「団結して政治を変えよう」とのスローガンが掲げられました。オール沖縄は、保守・中道・無党派・革新の立場を超えて力を合わせるというところに、その原点があります。
「オール沖縄」の誕生に至る直接のきっかけは2013年11月にさかのぼります。安倍自公政権が米軍普天間基地(宜野湾市)の代わりに、名護市辺野古に新基地建設を強行しようとし、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)元知事が辺野古埋め立てを承認するかどうかの判断を迫られていた時期でした。
●自民党と決別
辺野古に新たな基地は造らせないとする県民の圧倒的多数の民意のもとに、当時の自民党沖縄県連は辺野古反対でした。国場幸之助氏ら県選出自民党国会議員、仲井真元知事も辺野古反対を公約に掲げて自身の選挙で勝利していました。
ところが自民党幹事長だった石破茂首相が国会議員らに圧力をかけて公約撤回を強要。国場氏らは辺野古容認へと変節したのです。
「平成の琉球処分」といわれたこの一幕で圧力に屈した国場氏らの行いは、何よりも県民の誇りを深く傷つけるものでした。これに反発し、保守の立場ながら自民党と決別する決断をした人たちがいました。かつて自民党県連幹事長も務めた故・翁長雄志(おなが・たけし)氏(当時の那覇市長)や、金城徹那覇市議(今回、衆院沖縄4区にオール沖縄の代表として立候補)らです。
翁長氏らは、民意をよりどころに辺野古反対を貫き、日本共産党、社民党、沖縄社会大衆党(社大党)などの革新を中心とする勢力と共同。民意に背いて辺野古埋め立てを承認した仲井真県政からの転換をめざす道を選択します。
●分断に抗して
こうして翌14年の翁長氏の知事選勝利をへて生まれたのが県内政党、労組も加わって新基地反対の運動の全体をまとめる組織「オール沖縄会議」でした。以降、オール沖縄勢力が国政選挙などで団結。自公政権がオール沖縄分断のさまざまな工作を仕掛けてくる中でも、沖縄1区では団結を堅持し、連続勝利をつかんできたのがこの10年来の積み重ねです。
今回、オール沖縄は2区で新垣邦男氏(社民)が当選。3区の屋良朝博、4区の金城徹両氏(いずれも立憲民主)は小選挙区では議席に届きませんでしたが、屋良氏(比例で復活当選)は前回よりも僅差でした。れいわが独自候補を立てオール沖縄で一本化できなかった4区も、自民候補の得票は金城氏ら辺野古反対を掲げる2候補の合計票を下回る結果となりました。
「新基地反対、追い風」と琉球新報28日付が報じたように、赤嶺氏の勝利は今後のオール沖縄のたたかいを占う意味でも、重要な前進となる結果を残しました。(しんぶん赤旗 2024年11月2日)