太平洋戦争中の1944年に学童や一般の疎開者ら1788人を乗せ、沖縄から出港した疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦の魚雷で撃沈され、1484人(氏名判明数)が犠牲になった事件から8月22日で79年となりました。
那覇市にある対馬丸事件犠牲者の追悼碑「小桜の塔」では同日、対馬丸記念会主催の「慰霊祭」が開かれました。新型コロナウイルス禍で見送られてきた遺族、一般の人の参列も4年ぶりに再開。事件の生存者をはじめ多くの参列者が犠牲者を悼んで黙とうし、焼香をあげました。
対馬丸記念会の高良政勝理事長が追悼のことばを述べ、事件の生き証人として語り部を続けてきた平良啓子さんが7月に亡くなったことに言及。「事件を鮮明に語れる大切な人を失った。今後は啓子さんの体験談とともに語り継いでいけたら」と話しました。
また高良理事長は、ウクライナなどで子どもたちに戦争の大きな被害が及んでいることにふれ、「『歴史は繰り返す』と言われるが、戦争の歴史だけは決して繰り返してはいけない」と述べました。
参列した98歳の女性は「今年が最後になるかもしれないと思い来ました。亡くなった子どもたちの無念を思えば、今を生きる子どもたちの未来のために、まことの平和、戦争のない世の中を望むだけです」と語りました。
玉城デニー知事の代理で池田竹州副知事が来賓弔辞を述べ、あかみね政賢日本共産党衆院議員も参列しました。(しんぶん赤旗 2023年8月23日)