太平洋戦争中、沖縄県から本土への疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、児童や一般の疎開者1484人(氏名判別者数)が亡くなった事件から74年がたった8月22日、那覇市の「小桜の塔」で「対馬丸慰霊祭」が開かれ、約400人が参加しました。非戦の誓いや、戦争につながる新基地建設への反対の思いが語られました。
対馬丸記念会の高良政勝理事長は「戦争の愚かさ、無意味さをしみじみと感じる。報復の連鎖を断ち切ることが、私たちの使命だ」と語りました。
城間幹子那覇市長は弔辞で「私たちには対馬丸と沖縄戦の悲劇を幾世代に継承していく義務と、二度と戦争を起こさない堅い決意で未来を築く責任がある」と述べました。
生還者も多数参加。対馬丸記念館の語り部、照屋恒さん(78)は母と姉を失いました。母に、海に浮くしょうゆだるのところまで引っ張ってもらい助かりました。「お姉ちゃんを探すから」と暗い海のかなたに消えた母とは、それきりです。
照屋さんは、改憲など「戦争につながる動きが気になる」と述べ「素晴らしい自然をなくして基地を造るのはとても心が痛い」と語りました。
祖母、兄、従姉を失った平良啓子さん(83)は「戦争を起こす辺野古新基地建設は許せない。県知事選は絶対に勝たないといけない」と語りました。
日本共産党の赤嶺政賢衆院議員も参加しました。(しんぶん赤旗 2018年8月23日)