日々の活動、あいさつや懇談など
本会議や委員会での質問、質問主意書など
私は、沖縄戦から間もない1947年、旧小禄村(現在の那覇市)で生まれ、悲惨な戦争の傷跡が残る中で、少年時代を過ごしました。父親の畑仕事を手伝うようになると、私の役割は、散乱した戦争犠牲者の遺骨の断片を畑の四隅に積み上げることでした。
高台にある小学校は、米軍那覇飛行場(現在の那覇空港)の爆音にさらされ、授業もしばしば中断しました。米軍の直接統治下で、米兵による強姦事件などが処罰されないことに大きな怒りを抱いていました...
感じたことを思いのままに
「オール沖縄」の成り立ちとこれから
国会質問では、沖縄県民の声を背にして、舌鋒鋭く政府を追及する赤嶺さん。でも本当は、とってもあたたかい人で、若い議員さんや私たちスタッフにもよく声をかけて、沖縄の実情や歴史のことを話してくれます。
そんな赤嶺さんの生い立ちや経歴をご紹介します。子どもの頃の赤嶺さんや国費留学生として東京に向けて出港するとき、那覇市議に初めて立候補したときの”直立不動”の演説の様子など、本邦初公開の写真も続々です!(スタッフより)
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