エッセイ

新春特別随想  国内に広がる沖縄への連帯

 

 普天間基地問題が、日本の政治の熱い焦点になっている中で2010年を迎えた。

 いまのところ、与党3党で、5月までに移設先を決定することが確認され、3党は1月いっぱいにそれぞれの案をもちよることになっている。「案がなければもちろん辺野古にきまる」と岡田外務大臣は表明している。来年度予算に、辺野古の環境アセスの予算を計上し、環境影響評価書を5月以前にしあげて沖縄県に提出する準備も急ピッチですすめられている。

 3党が移設案を決めきれなかった場合には、即座に辺野古案は実行に移される。本音はいますぐにでも辺野古に移転したい、しかし県民の怒りは怖い。うかつなことはできない。県民の民意をよみまちがえたら、鳩山内閣の命取りになりかねない、だ。

 時を同じくして、名護市長選挙がたたかわれている。

 争点は、辺野古新基地をうけいれてきた現職の継続か、辺野古新基地建設に反対を表明した稲嶺ススムさんの勝利で、市政を転換するかだ。

 名護市長選挙での勝利は、鳩山内閣にとって辺野古にひきかえすうえで大きなバリケードになる。そうなれば普天間基地問題の解決の唯一の道が「無条件撤去」であることが焦点になり、本腰入れた対米交渉を求める声が大きな世論になる。民主党政権が、外交・安保でどんな道を歩もうとしているのか、国民は目を凝らしている。過渡期の政治情勢で、日本共産党の真価がますます輝いてくる。こんな展望を抱きながら名護市長選挙を連日たたかっている。

 昨年末、福岡県党会議に出席した。岡野隆県委員長が「名護市長選挙の支援募金を訴えよう」と提案してきた。会場の出口で訴えたら、30万円余の募金があつまった。名護市長選挙をはじめ沖縄に連帯するたたかいは、大きく広がっている。

 日本列島の津々浦々で「沖縄はわれらのものだ! 沖縄を返せ!」との歌声がみちあふれた1960年代後半をおもいだす。岡野県委員長も独特の政治的敏感さでおなじことを考えていたのだろう。今年は60年安保が改定されて50年。安保条約の裏で屈辱的な密約もつぎつぎ明るみにでている。私自身の議席の責任は、またズシリと重くなった。(しんぶん赤旗 九州沖縄のページ 2010年1月6日)

 

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