エッセイ

水曜随想  師走の同窓会 心熱く

 

  師走もおしせまったある日、東京都内で開かれた大学の学生寮の同窓会に出席した。参加者は20人余り。会を開くようになって10年になる。私が国会議員に当選したお祝いがきっかけだった。卒業して全国に散っていた仲間が北は青森、南は沖縄から駆けつけてくる。

 私たちが学生生活をすごした学生寮は、戦前は軍隊の厩舎(きゅうしゃ)としてつかわれていた建物を戦後改造したものだった。入寮審査も寮委員会でとりしきった。大学当局もあまり介入せず完全な自治療で、自由と民主主義の気風にみちあふれていた。電話は一台しかなく、男性からの電話は「で・ん・わ」とけだるそうな声で、女性からの電話は「お電話」とはりのある声で、マイクをとおして全寮に放送された。

 「お電話」と呼ばれた主が、板敷きの廊下をどたどたと電話室にかけてゆくのをみんなうらやましくしていた。寮を舞台にした小説を「民主文学」に発表した者もいる。みんな寮で成長した。

 参加者は、現役を退いた者が大半を占めるが、みんな頑張っている。地区委員長の重責をおえた先輩は、小選挙区候補をかって出て、「落選するたびに演説がうまくなったといってほめられる」「総選選挙は、毎日普天間、普天間と訴えているよ」と喜んでいる。

 退職後、国立ハンセン病療養所の証言集を編集し、支援活動をつづけている同期生の訴えもあった。労働運動のベテランの先輩は、「若者の権利を守ってたたかうために不可欠の専従をみんなの支援で確保しよう」「青年ユニオンを支える会に入会を」と静かな口調で訴えていた。

 「普天間基地」はみんなの最大の関心事。「赤嶺頑張れよ」と激励もあいついだ。気がついたらほとんどの人がアルコールを口にすることも忘れてみんなそれぞれの話に聴き惚(ほ)れていた。私も2010年の元気をもらった。日本列島が1番冷え込んだ日だったが、私の心は熱く燃えさかっていた。(しんぶん赤旗 九州沖縄のページ 2009年12月23日)

 

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