エッセイ

水曜随想  名護市長選勝利かみしめて

 

 名護市長選挙の開票日、民放テレビは、投票箱がしまった直後の午後8持すぎに、稲嶺ススムさんの当確を競い合ってだした。にわかには信じられなかった。12年前、直前の市民投票で歴史的勝利をおさめながら、市長選挙で失敗した痛苦の経験があったからだ。

 辺野古新基地建設反対闘争が困難にぶつかるたびに、「あの市長選挙で勝っていたら…」と当時の失敗が悔やまれた。あのときのトラウマもあり、開票がすべておわるまでは、疑心暗鬼だった。結果は1588票差だから、大差をつけての勝利だ。この12年間の重たいおもしが一つとりはらわれた感じだ。

 勝利直後のインタビューで稲嶺さんは「辺野古の海に基地は造らせないという約束で選挙をたたかってきた。しっかり信念をもって貫く」とのべた。温厚な人柄だから、表情をかえずに淡々と語るが、近くで見ていると、絶対ゆずれない信念にみちた気迫がつたわってくる。その稲嶺さんの信念は、辺野古の海をまもるために13年間座り込んできたオジー、オバーたちの姿勢から学んだものだ。

 選挙結果に対する反応が出始めている。NHK出口調査では、「投票にあたって、有権者が重視した政策」について、トップは基地問題で43%だった。山奥の集落でも米軍基地問題が真剣な話題になっていた。政府が基地押しつけの振興策予算をつくり、札束で頬をひっぱたくようにして基地を押しつけ、兄弟や親せきや共同体を引き裂いてきた。「もう政府に翻弄されずに生きたい」というのが名護市民の願いだった。

 「この選挙で基地問題を終わりにしよう」という地域のリーダーたちの訴えが共感を広げた。「こんなに多くの市民が基地に反対していたのか」と、誘致派だった人が驚きの声をあげるほど、地殻変動が起こっていた。

 ところが、平野官房長官は、「(市長選結果を)斟酌してやらなければならない理由はない」と民意に挑戦するかのように辺野吉案にこだわってみせた。岡田外務大臣は、投票日前日の23日、「辺野古案も依然として候補地」として、政府・与党の沖縄基地問題検討委員会での検討について「与党3党で当事者意識をもち、(民主党だけでなく)他の2党にもむつかしさをわかってもらうのが大切だ」とのべた。

 移転先がなければ、当然そのときは与党一体で辺野古にもどすということなのか。稲嶺ススムさんは、「辺野古のたたかいは終わったのではない。これから始まる。市長選挙はその第一歩」と語った。沖縄の基地闘争の歴史的分岐点になる市長選挙勝利の意味を今かみしめている。(しんぶん赤旗 九州沖縄のページ 2010年1月27日)

 

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