国会質問

質問日:2010年 11月 1日  第176国会  予算委員会

2010年11月1日 第176国会 衆議院予算委員会

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沖縄振興 米軍基地が重大な障害

議事録

○赤嶺委員

 次に、私はきょうは、今後の沖縄県民の暮らし、そして経済振興にとって中心課題でもあります米軍基地と経済の問題について聞きます。

 まず総理に伺いますが、沖縄には戦後六十五年たった今日でも広大な米軍基地が存在をしております。県土の一〇・二%、沖縄本島の一八・四%を米軍基地が占めています。陸だけでとどまらず、広大な米軍の訓練空域、訓練海域が設定されており、日本の領海、排他的経済水域であるにもかかわらず、漁業者が自由に操業できない状況になっています。総理、戦後六十五年たった今なおこれだけ広大な米軍基地が存在していることについて、まずどのようにお考えですか。

 

○菅内閣総理大臣

 沖縄において、まず、あの太平洋戦争の折に、大きな県民の皆さんを巻き込む陸上戦が行われ多くの皆さんが亡くなられたこと、そしてそのことは、歴史の中でも大変大きな出来事であり、私たちも忘れることができないことだと思っております。

 また、戦後長く米軍の施政権下にあり、日本に復帰をした後も多くの米軍基地を抱え、全国の七割を超える米軍基地が沖縄に集中している。極めて大きな負担を沖縄に負わせてしまっている現状について、そのことを何とか軽減していかなければならない、そういう思いをずっと持っております。

 

○赤嶺委員

 沖縄の米軍基地は、国際法に違反して、住民の土地を強制的に奪って建設したものであります。基地が置かれている場所は、地域の中心部の平たんな土地や眺めのよい場所を奪ってつくられました。基地の町では、住民は狭隘な土地にひしめくようにして暮らすことを余儀なくされております。

 嘉手納町では町の面積の八二・五%、金武町では五九・三%が基地に占められています。広大な土地を米軍に奪われているために、役場や学校や公園などの公共施設や道路、上下水道など、まちづくりの基礎すら十分に確保できない状況になっています。米軍普天間基地のある宜野湾市は、市の面積の三三・二%を基地が占め、市のど真ん中に基地が存在しているため、市の消防署も、本来、中心部に一カ所あれば全域をカバーできるのに、三カ所の配置を余儀なくされているとか、地域間の道路交通網も遮断され、生活道路も交通渋滞が慢性化をしております。上下水道はすべて迂回させて整備しなければならないため、管の距離が長くなり、自治体の財政負担も過重になっております。

 総理は、米軍基地がもたらすこうしたまちづくりへの影響、これについてはどういう認識をお持ちですか。

 

○馬淵国務大臣

 今先生の御指摘のとおり、まちづくりに対しても大変大きな制約要因となっているということを私ども十分承知しております。その上で、だからこそ、この社会資本整備をいち早く、私どもは沖縄振興の最も基礎の部分として取り組まねばならないと考えておりまして、これはもう先生よく御承知の、私どもが今日まで行ってまいりました振興の特別措置法、これによりまして社会資本整備を重点的に行ってきたものでございます。

 特に、今、下水の問題も御指摘がありました。給水などの水資源開発におきましては、今日までの取り組みによりまして、過去、給水制限日数、これは昭和四十七年から平成三年でございます、二十年間で一千百日あったものが、平成四年から平成二十年の十七年間で三十一日と短縮をされた。一定の成果を上げつつもありますが、まだまだまちづくりに大きな制約を与えていることも承知しております。

 引き続きまして、課題として、私ども、今御指摘のような今後のまちづくりに向けての対応というものを、この特措法の期限が切れますのが来年度末でございますので、それにかわる整備を行ってまいらねばならない、このように考えております。

 

○赤嶺委員

 まちづくりも米軍基地優先の社会なんです。

 まちづくりだけではありません。米軍基地は、沖縄の産業振興にとっても重大な障害となってまいりました。もともと、戦後の沖縄経済はアメリカ軍の余剰物資の配給から始まりました。県民は、沖縄戦と米軍による土地強奪で生活手段の一切を奪われ、米軍基地からの物資に頼らざるを得なかったわけであります。

 私の出身地は那覇市ですが、合併前は小禄村。その小禄村で、当時米軍のちり捨て場があり、米軍は、少しでも容器に傷がつくと、肉の缶詰や食料品、材木など相当の量を毎日のように廃棄しておりました。それを当時の村長が基地司令官にかけ合い、管理を村に移管するよう頼み込んで、物資を入札制にして一般の業者に払い下げて、村の財政の再建につなげていったという歴史があります。私の体験でも、当時養豚が盛んになり始めましたけれども、それは米軍基地から流れてくる残飯などによって支えられていたわけです。

 当時の米軍は、沖縄を施政下に置きながら、沖縄の産業の振興策は全く持ち合わせていませんでした。大規模な基地の建設の工事、駐留する数万人の米軍へのサービスの提供など、県民の収入は米軍基地の需要に依存せざるを得なかったわけです。これが基地経済の始まりであります。当時の沖縄の法定通貨は、米軍が発行するB円という軍票でありました。また、その後ドルにかえられ、基地への依存はますます深まりました。基地依存の経済から抜け出すということは、私たち県民の悲願でありました。

 ところで、総理、沖縄経済は基地なしではやっていけないとよく言われます。沖縄経済の基地への依存の割合、おおよそでいいんですが、どのくらいだと思いますか。総理の認識を聞かせてください。

 

○馬淵国務大臣

 お答えいたします。

 基地経済と呼ばれるその割合でありますが、県民総所得に占めるその受け取りの割合でいいますと五・四%。これは平成十八年度の数字でございますが、五・四%となっております。

 

○赤嶺委員

 五%台なんですね。丸ごと米軍基地に依存していた沖縄の経済が今は五%台です。復帰のときには一五・五%でした。一等地を奪われながら、優良農地を奪われながら、本土との交流を初め、県民が農業や水産業、観光産業に努力した結果、県の経済規模が大きくなり、基地への依存は今や五%まで低下をいたしました。最近出されました沖縄県の報告書の中でも、今やその動向が県経済全体を大きく左右することはなくなっている、このように指摘をしております。

 ところが、県経済の五%を占めるにすぎない米軍基地が依然として沖縄本島の二割近くの面積を占めております。米軍基地はもう経済で依存する対象ではなくて、基地の存在はもはや沖縄経済の発展にとって障害となっている、総理はそういう認識をお持ちですか。

 

○中井委員長

 北澤防衛大臣。(赤嶺委員「防衛大臣では答えられないですよ、沖縄経済の障害だと聞いているんですから。防衛大臣、答えられるんですか。答えられないでしょう」と呼ぶ)

 

○北澤国務大臣

 委員長はこの委員会の主宰者でありますので、御指名をいただきましたので、私も、今の赤嶺先生の質問に私が答えるのが適当かどうか、ちょっと迷ったところであります。

 以上であります。

 

○菅内閣総理大臣

 先ほど、馬淵大臣の答弁あるいは赤嶺委員のお話、五%程度ということまである意味では低下をしてきていると。

 ここにもいろいろな数字が出ておりますが、観光収入なども、昭和四十七年の三百億台から現在は十二倍になっている等々、そういったいろいろな分野での経済の発展によって、基地への依存が小さくて、それなくしても自立した経済が可能になりつつあるということは、私も今のお話も含めて認識をいたしました。

 

○赤嶺委員

 それだけじゃないんです。この九月には、沖縄県議会事務局が、県内すべての米軍基地が返還された場合の経済効果について独自に調査した結果を公表いたしました。

 これによりますと、今現在、基地がもたらす経済効果は四千二百六億六千百万円、すべての基地が返還された場合の経済効果は九千百五十五億五千万円、二・二倍です。雇用者の数でいえば二・七倍です。この数字は、返還後の跡地利用のインフラ整備を予測困難として含めていないなど、控え目の数字であります。

 私は、米軍基地が沖縄経済の最大の障害だということは、この調査でも明らかになったと思います。もちろん、基地が返還されて、その跡地利用を成功させる事業は並大抵ではありません。六十五年間、広大な米軍基地の存在によって沖縄の社会構造がゆがめられてきたわけですから。しかし、それでも試算をすると、基地がない方が二倍以上の経済の活性化につながる。もちろん、私たちはそういう道を切り開いていきたい。

 基地返還後の沖縄経済発展に新しい条件を基地の返還が切り開くのは間違いないと思いますが、総理、いかがですか。

 

○馬淵国務大臣

 基地に占められているその土地を活用することによって経済が活性化するのではないかという御指摘は、私もおっしゃるとおりだと思います。

 しかし一方で、沖縄の振興として、今日までに、現行使えるさまざまなリソースを活性化させていくということで、先ほど来お話ありますように、観光あるいはITという情報集約型の産業の移設ということを進めてまいりました。いわゆる高付加価値化ということであります。こうしたIT、観光、またこれらに続く新たな柱というものも考えていかねばならないとしまして、バイオやあるいは医療福祉といった分野の育成も取り組んでまいりました。人材の育成も十分に必要だと思います。

 私どもは、このように基地経済をこれから徐々に徐々に変えていく、いわゆる自立型の経済というものを沖縄の振興の中で中心に据えていかねばならないと考えておりまして、御指摘の部分も十分承知しながらも、一方で、我々が取り組むべき課題というものは先送りせずにこれは進めていく、そういった姿勢で今日も取り組んでおります。

 

○赤嶺委員

 馬淵大臣、たとえ沖縄本島の二割近くが広大な米軍基地に占められて産業の振興の最大の障害になっていても、振興策を内閣府が取り組むのは当然なんです。しかし、米軍基地が撤去した後の経済の展望、新たな条件を切り開くものになっているというのもまた事実なんです。

 ところが、政府は、米軍基地の縮小、撤去に取り組んでおられるか。SACO合意のときも整理縮小を言いました。米軍再編のときも、整理縮小、負担の軽減と言いました。

 例えば普天間飛行場の返還の問題でも、その移設先は辺野古であります。負担の軽減という場合に、必ず移設の条件がついてくるわけですね。辺野古は、海上ヘリポート案から始まり、軍民共用空港案、沿岸L字案、V字案、計画は何度も変更されました。この八月には日米両政府の専門家会合の報告書が出されたが、今度はI字案。十四年間一歩も進まないのは、それが県内基地のたらい回しだからなんですよ。

 そのよい例が、総理が民主党の代表選挙の出馬のときにも、最近も、それから、仙谷官房長官もこの間の沖縄県との政策協議会の中で触れている北部訓練場です。過半を返還する。ところが、過半を返還する場合に、その過半の地域にあるヘリの着陸帯、これも移転先に移せと。移転先は高江という集落ですね。そこには既に十五カ所のヘリの着陸帯があるわけです。ここに、もとの場所から六カ所を移したら、高江の集落は周りをぐるりとヘリの着陸帯に囲まれてしまう。夜間飛行もある。そして、人がロープでおりてくる訓練もある。

 恐怖におびえて反対運動をしたら、政府はその反対運動の座り込み、一時は八歳の少女まで裁判に訴える。沖縄県民が米軍基地の新たな建設に反対したら、国家権力がこれを裁判に訴えてこの是非を問おうとする。ここまでしてたらい回しを追求して、沖縄の基地が絶対に減ることはあり得ないと思います。

 県内移設を断念すべきだと思いますが、いかがですか。

 

○北澤国務大臣

 お答え申し上げます。

 沖縄の実情は赤嶺先生がおっしゃったとおりで、大きな負担をかけさせておるということは事実であります。

 私どもとすれば、普天間の基地をまず返還してもらうということと、それに付随して、グアムへ八千人、そして家族が九千人、さらには訓練移転を県外へ、さらには海域の返還、さまざまなもので実質的に負担が減るということを努力させていただくということで、今後もお話を申し上げていきたいというふうに思っていますが、我々も、代替施設が沖縄の中でたらい回しだという感覚ではなくて、より危険性の少ないところへ移転をして、その中で沖縄の皆さん方の負担を減らす、そういうことでこれからも努力をしていきたいと思っています。

 

○赤嶺委員

 ヘリパッドの、ヘリの着陸帯の問題にしても、十五カ所ある場所の高江の地域にあと六カ所つくったら比較的負担の軽減なんて、だれが認めますか。反対運動に立ち上がるのは当然なんですよ。防衛大臣、あなたが裁判に訴えているわけですから、この裁判を直ちに取り消していただきたいと思います。

 SACOの合意以降、政府は基地を受け入れさせるために、名護市を中心に莫大な振興策をつぎ込んできました。しかし、地域経済を無視した振興策は、経済を改善するどころか企業倒産が増大し、そして失業率も市の財政も悪化するだけでありました。名護市民はことし一月の市長選挙で、海にも陸にも基地はつくらせないと主張する稲嶺市長を誕生させました。市議選でも与党が圧倒的多数になりました。

 沖縄県建設産業団体連合会の前の会長の呉屋さんは、会長当時、基地絡みの生産額は県民所得の五%、基地あるがゆえの日常的な不安、危険など……

 

○中井委員長

 赤嶺議員に申し上げます。

 質疑時間が終了していますので、まとめに入ってください。

 

○赤嶺委員

 デメリットを総合的に勘案すると、普天間基地問題を契機に米軍基地を整理縮小していく道筋に大きく変えるべきだと思う、県民の危険や苦労を売り渡すような野卑な団体には成り下がりたくない。これが、経済界も含めて沖縄県の県内移設断念を求める一致した世論であるということを申し上げまして、質問を終わります。

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