実績(憲法・自衛隊)

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赤嶺議員は2000年の初当選以来、県民の命とくらし、沖縄と日本の進路に関わる様々な問題を国会で取り上げてきました。辺野古への米軍新基地建設、繰り返される米軍犯罪、沖縄の経済振興、沖縄戦「集団自決」をめぐる教科書問題、イラクやインド洋への自衛隊派兵、憲法違反の安保法制…。現場に駆けつけ、声を聞き、県民の願いの実現へ全力で頑張ってきました。

これまでに国会で行った質問や発言の回数を合計すると、661回に上ります(国会質問504回+質問主意書81回+発言6回+討論68回+答弁1回+動議1回。2017年1月31日現在)。

その一端をご紹介すると…。

■戦争法案の廃案を求め、野党と協力して政府を徹底追及

政府・与党は2015年9月19日、全国で広がる国民の反対の声を無視して、憲法違反の安保法制=戦争法を強行成立させました。歴代政府が憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使に公然とふみこみ、アメリカの戦争に、いつでも、どこでも、どんな戦争でも、日本が参戦することを可能にするものです。

赤嶺議員は、安保法制を審議した特別委員会の理事会に党を代表して参加し、他の野党の理事と協力して、法案の徹底審議と廃案のために全力を尽くしました。

戦争法案の強行採決を許さないと抗議する人たち(2015年9月18日)

国会論戦では、国連憲章違反のイラク戦争と自衛隊派遣に反対の論陣を張ってきた議員として、開戦を支持し、自衛隊を派遣して米軍占領に加担したことへの無反省が、安保法制の提出につながっていることを繰り返し訴えてきました。

政権に復帰した安倍首相は2013年2月、安保法制懇を再招集し、集団的自衛権行使に関する議論を再開。赤嶺議員は、4月の衆院海賊テロ特別委員会で、2012年12月に外務省が公表したイラク戦争に関する検証結果について、情報収集能力の強化に問題をそらし、なぜ当時の日本政府が先制攻撃戦争をいち早く支持し、自衛隊を送ったかについてのふみこんだ検証がないことを批判。アメリカ政府が先制攻撃戦略の根幹を維持し、世界各地で行う無人機による空爆を自衛権で説明していることを挙げ、日本が集団的自衛権の行使にふみこむ危険性に警鐘を鳴らしました。 議事録はこちら→

安保法制が審議された2015年6月の衆院安保法制特別委員会では、法案の作成・提出に当たって、イラク戦争を支持し、自衛隊を派遣した当時の政府の対応を検証したのかと追及。岸田文雄外務大臣は、「すでに外務省で行った検証によって、イラク戦争において武力行使を支持するに至った当時の問題の核心について説明をしている。改めてイラク戦争について検証を行うことは考えてはいない」と無反省な姿勢に終始しました。 議事録・動画はこちら→

また、政府が憲法解釈変更の理由に挙げる「安全保障環境の根本的な変容」についても追及。イランの核問題について前向きの動きが進んでいることなどを挙げて、ホルムズ海峡における機雷掃海の問題をめぐって、どのような変化があったのかを追及したのに対し、政府は具体的な説明をできませんでした。 議事録・動画はこちら→


■緊張高める自衛隊配備をやめ、アジアとの交流で島の活性化を

草をはむ与那国馬

政府は、島嶼防衛を自衛隊の役割・任務に位置づけた日米合意(2005年10月)や島嶼部への部隊配備を進める方針を打ち出した防衛大綱・中期防(2010年12月)に基づいて、与那国島や奄美大島、宮古島、石垣島への自衛隊配備を推し進めています。

こうした流れの中で、2007年6月、港湾管理者である沖縄県と地元与那国町が反対している下で、米海軍佐世保基地所属の掃海艦2隻が与那国島への寄港を計画していることが報じられました。赤嶺議員は、同月の衆院沖縄北方特別委員会で、与那国島の人々が台湾や中国との友好を通じて島を発展させようと努力してきたことを紹介し、軍事的な緊張を持ち込む米軍艦船の入港を批判しました。 議事録はこちら→

2011年10月の衆院安保委員会では、自衛隊配備に伴う国の交付金や補助金は限定的で、1950年代から国境警備のための部隊が順次置かれてきた対馬では、1960年には7万人だった人口が、3万5千人にまで減少していることを紹介。島の特性を生かした産業を興し、国境の島として、台湾や中国、アジアとの交流を深めることでこそ島の活性化も図れることを強調しました。 議事録はこちら→

与那国島の自衛隊駐屯地建設予定地を調査する赤嶺議員(2011年10月)

防衛省が石垣島と宮古島への部隊配備に向けた検討作業をすすめる一方、具体的な配備先が明らかにされないことへの住民の不安が高まっていた下で、防衛省が民間企業に委託して実施した調査報告書を赤嶺議員が入手。2015年4月に、日本共産党八重山郡委員会と同宮古郡委員会が、報告書の内容からそれぞれ島内の具体的な候補地を割り出し公表。沖縄の地元紙などで報じられました。


■沖縄戦戦没者の遺骨を遺族の元へ

去った大戦から70年以上が経過しましたが、今も毎年100体以上の沖縄戦戦没者の遺骨が見つかっています。政府は2003年度から、希望する遺族とのDNA鑑定を始めましたが、名前が分かる遺留品も見つかるなどの条件があるため、身元が判明した事例はごくわずかです。30年以上にわたり、沖縄戦戦没者の遺骨収集を続けてきた「ガマフヤー」(沖縄戦遺骨収集ボランティア)の具志堅隆松さんは、すべての遺骨のDNA鑑定をと国に求めてきました。

赤嶺議員は、2010年5月の衆院沖縄北方特別委員会で、遺骨をDNA鑑定して厚労省で記録を保存し、遺族が自分のDNAの検体を提出した場合には、厚労省の記録と照合できる仕組みをつくるよう求めました。 議事録はこちら→

沖縄慰霊の日

また、戦没者遺骨収集推進法が審議された2015年9月の衆院厚生労働委員会で質問。政府は「遺留品などがなくても、部隊記録等の資料によって地域を絞り込んである程度戦没者が特定できた場合には、関係すると思われる遺族に対してDNA鑑定の呼びかけを行って、御遺骨の身元を特定していきたい」と答弁しました。キャンプ・シュワブなど米軍基地内の遺骨収集についても、「関係者の証言などの遺骨情報の有無を沖縄県から伺うことにしたい。その上で、仮に情報がある場合には、外務省、防衛省などと連携をして、基地内の遺骨収集について米軍側に対して要望を行うことについて検討したい」と答弁しました。 議事録・動画はこちら→

厚生労働省は2016年3月、現在ある約8千人分の身元が分からない戦没者遺骨のDNAを2016年度中にデータベース化し、遺族の可能性がある人たちの調査を始める方針を明らかにしました。


■沖縄戦の歴史の偽造を許さない

2007年3月、文部科学省が高校教科書の検定結果を公表し、沖縄戦の「集団自決」について、日本軍が強制したとの記述を書きかえさせていたことが明らかになりました。

赤嶺議員は、4月の衆院文部科学委員会で、戦後の沖縄に生まれ育った自らの生い立ちにふれ、父親の畑仕事を手伝うようになった頃、石ころに混ざり粉々になって散らばっている人間の骨を拾い集めることが自分の役割だったこと、終戦直後の沖縄で、芋や根菜類が大きく実ったのは、戦死した人間の養分を吸ったからだという話をよく聞かされたことを紹介し、沖縄戦が日本で唯一住民を巻き込んだ地上戦だったことを指摘。

「歴史をゆがめる教科書検定意見を撤回させるため、沖縄県民が団結してがんばろう」と拳をあげる県民大会参加者(2007年9月29日、沖縄県宜野湾市)

その上で、検定意見をつけた根拠をただしたのに対し、政府は「当時の日本軍の隊長等から、軍の隊長の命令があったということは事実ではないとして訴訟が提起をされている」ことを挙げました。赤嶺議員は、当時の日本軍沖縄守備第32軍が、住民を根こそぎ戦争動員し、「軍官民共生共死の一体化」という考え方を徹底して押しつけ、「生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と命令を下していたことを指摘。各地の現場で具体的な命令があったかどうかの問題ではなく、梅沢裕氏らが「沖縄集団自決冤罪訴訟」の名の下に起こした裁判は、事実認定も証人尋問もこれからの段階で根拠にならないことを強調しました。 議事録はこちら→

その後、この質問をきっかけとして、市民団体や教職員組合のみなさんと一緒に文部科学省への要請や国会内外の集会に繰り返し取り組みました。沖縄県内では、すべての自治体で抗議決議が上がるなど、自治体と住民が一体になった運動が広がり、11万6千人余が結集した「教科書検定意見撤回を求める県民大会」へとつながっていきました。

 

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